出典:加治木義博:言語復原史学会
『魏志倭人章』詳解1
垂仁天皇の邪馬壹国
99~100頁
「断定できる「実在」
これで第1章は終わるが読者の中には
『魏書倭人章』と『記・紀』とが一致したというだけで
『記・紀』の登場人物が実在だといいきれるか?と、
まだ疑問に思う方がありそうである。
『記・紀』が『魏書倭人章』をもとに作られたものなら
一致は当然で、
何も「実在」の証拠にはならない。
という気がするかも知れない。
だが考えてみると、
たとえ『記・紀』が
『魏書倭人章』を写したものであったとしても、
『魏書倭人章』の方は、
日本国民をだまそうという目的で作られた
「ニセの歴史」などではなく、
帯方郡使が外国人の眼で
「客観的に見聞きした事実」の報告書を、
陳寿が編集しただけに過ぎない。
郡使は何もウソを書く必要も理由もないから、
そこに登場する人物は全て、実在者ばかりである。
それをもとに『記・紀』が書かれたとしても、
「事実の記録による実在者の歴史」であることには変りはない。
しかも『記・紀』は『魏書倭人章』をもとに
書かれたものではない。
なぜなら『記・紀』は『魏書倭人章』の人物が、
だれだったか知らない。
ことに『日本書紀』は<卑弥呼>を<神功皇后>だと考えて、
<卑弥呼>が<難升米>を魏へ派遣したことなどを、
小文字ではあるが何年にもわたって書き添えている。
『日本書紀』は天皇たちの治世年数を書いているから、
その遣使の年から数えると、
本当の<卑弥呼>である<倭迹迹日百襲姫>は、
それから320年も前に死んだことになっている。
これではとても『魏書倭人章』の焼き直しだとはいえない。
また卑弥呼は女王と書かれ、
男弟は政治を補佐しているに過ぎないのに、
その男弟を崇神天皇、
卑弥呼を単なる天皇の姑と逆に書いている。
かと思えば
『魏書倭人章』では分らない卑弥呼の死に方などを
『記・紀』は詳しく知っている。
『記・紀』を詳細に分析してみると
『魏書倭人章』とは関係なく、
どちらも独立して書かれていることが立証される。
だから事実の記録に一致する
『記・紀』の登場者は「実在だ」と断定できるのである。
『魏書倭人章』登場者の系譜
「『魏書倭人章』登場者の系譜」(主に『日本書紀』により『古事記』で補う)
孝霊天皇
┌───┬─────┬────┻━━━┯━━━━━━━┓
稚武彦 彦狭島 彦五十狭芹彦 倭迹迹日百襲姫 孝元天皇
(男 弟) (卑弥呼)
┌──────┬────┬────┸─────┐
武埴安彦 彦太忍信 倭迹迹姫 開化天皇 大彦
(狗右制卑狗) ┃ │
┏━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┛ 武渟川別
崇神天皇 彦座 彦湯隅 (難升米)
(男 王) │
┃ 丹波道主
┃ │
┌──┬───┼──┐ ┌────┬──┴─┐
∧ ∧ ∧∧ ∧ ∧ ∧ ∧
八掖 彦伊 垂伊卑 豊都 沼奴 歌弟薊弥 日弥
坂邪 五声 仁支弥 城市 羽佳 凝比瓊馬 葉馬
入狗 十耆 天馬弓 入牛 田鞮 比売入獲 酢升
彦∨ 狭∨ 皇∨呼 彦利 入∨ 売 媛支 媛∨
茅 素 ∨ 日 ∨ │
┃ ∨ 売 │
┗━━━━━━━━┳────────────┘
┃
┌──────┻━━━━┓
倭姫命 景行天皇
(壹 與) (戴斯烏越)
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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