出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
186~191頁
少々唐突だが次の各語は鹿児島弁を
御存知の方には注釈の要はないと思う。
他の方々は( )内の標準語と対比して戴きたい。
① ジャーオー(行け、行こうという意)
② チャラージャーオー(御飯嫌よう、さよなら、行こう)
③ チャロ(サロケ「歩け」の幼児語)
④ コンターチャウダ好ンドカイ(これが丁度よかろうか?)
⑤ 心配ナカロー(心配いるまい)
⑥ ジャナヒ(では無い)
⑦ アッデヤー(如何にも、宜しい)
⑧ ケッチ悪ルワーナヒ(決して悪くはない)
⑨ ハーンハーン(成る程、成る程)
シヤーヤッドアイサーヘー(多分その通りのようです)
鹿児島弁におくわしい方々、いかがであろうか。
わずかだが、筆者の発音描写に怪しいところがある、
とお思いになったはずである。
それもそのはずで、
これは鹿児島弁ではなく
現代インドの標準語(ヒンドスターニー)だったのである。
少々あやしいのは、我慢して戴くほかない。
④ 好ンドは「パサンド」。
⑤ 心配は「シンクル」。
これは注意をしてみると、
心配という文字そのものが、
シンクパルであり、シンクルに対する当て字で
あったことがわかる。
なぜなら私たちが使う「心配」の本当の内容は、
単なる心(こころ)くばりではなく、
もっと深刻なもの「心狂う」を指しているからである。
⑦ 悪ルワーは「パルワー」。
これも今はP音の消えた日本語も昔はP音があったこと、
<ハ>と<ワ>は今も同じように使われていることで、
元は一つだったことがわかるのである。
考えてみて戴きたい。
少くとも二千年近く前に分離した人々が、
それぞれ全く異った環境の中で別方向へ変化しながら、
なおこれだけの共通のものを貯わえていたのである。
話題が鹿児島にあるため鹿児島弁だけを御覧に入れたが、
シャー(そうだ)は関西弁だし、
パカロー(捕らえろ)はパクルと同源だし、
トゥムハーラー(友人)が友輩(ともばら)であったことは
一と目でわかるし、
ウタターが(起きる)であることは
「うたた寝」や鹿児島弁の
「うっ起(た)つ」の語源であることなど、
それはそれで別に大冊の共通語辞典が作れるのである。
もうすでにお気づきの通り、
パーリ語の「愛」<ペマカ>が<卑弥呼>の
語源だということに対する抵抗を、少なくするのが目的であった。
これで<ペマカ>だけでなく、
現代語にすら共通語が多数実在するということで、
かなり信頼度は高まったと思う。
しかしそれだけではないのである。
混合民族であった倭人は、
パーリ系人が<ペマカ>と呼び、
原鹿児島人が<ヒメコ>と呼び、
原沖縄人が<フィミクヮ>と呼んでいた時、
「アイ」とその短音「エ」と呼んだ人々も居た証拠がある。
なぜなら、卑弥呼の名に相当するとするほかない
「愛」の名をもった山陵が
鹿児島県内にあるからである。
川内(せんだい)市にある<可愛(エの)山陵>は
明治7年になって決められた本来は
<亀山>と呼ばれていたものである。
同じく川内市水引町五台の中山々頂には巨岩が二個あり、
左右に<川合陵>、<端陵>と呼ばれる<陪塚>にあたるものがあり、
明治以前はこれが<可愛山陵>と信じられて来た。
筆者がこちらを採る理由は<川合>の<カアイ>は
<可愛>の<カアイ>と同音であること、
<端>の<ハタ>の音は<秦>の音と一致することで、
私たちの言語復原史学を知らなかった人々が、
こうした名前のセットになったものを保存しているのは、
これが「愛」の陵であるという事実を
裏書きしていると考えるほか、
考えようがないからである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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