出典:加治木義博:言語復原史学会
『魏志倭人章』詳解1
垂仁天皇の邪馬壹国
57~60頁
では郡使たちは、どんな発音で当て字をしたのであろうか。
これはそれほど難しい問題ではない。
なぜなら彼等役人たちは、どんな地方の出身であろうと、
当時の中国の標準語による文学の試験をうけて、
採用されたのである。
もちろん郡使の報告書は3世紀当時の標準語で書かれている。
そうでないと中央官庁の人々が読んでも、
何という名前なのか分らないからである。
こうした中国の古代標準語が、
どんな発音だったかを、非常に詳しく研究した学者がある。
スエーデンの中国研究家<カールグレン>である。
氏は古代の『詩経』を現代の中国語で読むと、
詩の生命である韻が、
無茶苦茶になってしまうことに気づいて、
それは古代の発音が現代のそれと、
違っていたためではないかと考えた。
そこで各時代の標準語の辞書などをもとに、
「時代による発音の違い」を永年かけて調べ上げたのである。
氏はそれによって、漢字の発音は大別して漢の時代以前と、
それ以後、明(ミン)の時代までと、
清(シン)の時代以後との、
三とおりの異なった発音があることを明らかにした。
同じ文字でも時代によって、かなり発音に差があったのである。
その後この研究は中国の学者に引継がれて
「羅常培」氏らはさらに6期に細分している。
なぜそんな変化が生じたのであろうか。
それは中国が多民族国家で、
中央政権の言語が革命のたびに変ったからである。
新しい中央政権は、
自分たちの言葉を全国民に押付けて標準語にする。
だから発音は変らないわけに行かない。
『魏書倭人章』が書かれた当時は漢の時代のあとで、
まだ魏晋音が生れ始めたごく初期に当たっているから、
その人名官名は<カールグレン>の分類による上古音で読めば、
ほぼ本名に近い発音で聞取れることになる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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