出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
181~185頁
だが奈良朝以来の仏像様式とは
かなり異なった点の多いことも事実である。
謎をとく鍵は<竜虎>にある。
この対照的配置は明らかに<青竜白虎>で東西を表わしている。
とすれば本尊は南に位置している。
南の仏は<南海古仏>の別称をもつ<観世音>であり、
菩薩で女性ともとれる姿、
さらには足下の蓮弁が海亀ともとれる姿であることとも結びつく。
さらに<竜虎>が完全にインドネシア型式であることも
この傍証となる。
さらに後出の<カリー女神像>と比較すると、
この画像が奈良朝以後の<仏像>と<ヒンドゥ神像>との間をつなぐ
貴重な要素にみちたものであることがわかるのである。
「コラム:金竜寺観世音菩薩像」(奈良県山辺郡金竜寺)
頭上の二つの卵型のものは観世音菩薩鏡のものと非常に近く、
中宮寺の国宝半跏思惟像その他では髯になっている。
ことに注意を要するのは台座であって、
蓮弁が上下に双開した型式になっているのは
先出後出のシバ神カリー神像などにみる
ネパール仏と同系統の特徴である。
筆者が分析した我が国の古仏様式中これに属するもので
特に意義深いのは
三月堂の国宝<不空羂索観音>像などで、
ヒンドゥ教の神像の象教たる
第三の眼を額の中央にもっている。
これもまた非常に古いタイプを止めた
過渡期の観音像の一つである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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