出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
192~194頁
次は邪馬臺とは何を意味し、
何と発音するのが正しいかという問題である。
<邪>という字は、<ヤ>、<ジヤ>、<ヨ>などと
日本で使われてきたが、
北京音では<シェ>、
広東音では<ツェ>、
呉音では<ゼ>、
上海音が<ジャ>である。
また明(みん)音で<スウ>と使われている。
カールグレンの研究によると、
この邪の発音は2系統があり、
上古音<ディオ>と<ディア>。
中古音<ヂウォ>と<ヂァ>。
近世音<スウ>と<シェ>に分れている。
お気づきのように<ヤ>と発音するものはない。
では日本で<ヤ>と用いられた例はいつからか。
記紀万葉時代にありそうに思われるかも知れないが
中田祝夫氏の新選古語辞典によれば、
<ヤ>の音に用いられたのは
<夜>、<移>、<也>、<野>、<耶>、<楊>、<椰>、
<揶>、<瑯>、<八>、<矢>、<屋>の
十二文字であって邪はヤ行はもちろん、
他の仮名としても全く使われていない。
筆者があげた<ヤ>という使用例は、
邪馬臺以外には、はるか後世まで無い。
3世紀当時、
ヤマト論者のいうように邪馬臺国が
ヤマトと発音されていたのなら、
魏人はこんな文字よりも<ヤム>という発音の
<奄>や<淹>や<掩>、<厭>、<弇>に、<ト>と
はっきりした音の<土>、<吐>、<堵>、<稌>など
幾らでも選んで用いることができた。
それをしていないということは、
魏使たちが耳にし、語りあっていた邪馬臺の発音は、
ヤマト以外のものだったという動かない証拠なのであるる。
これはヤマトが実在しなかったということではない。
ただ邪馬臺とは別のものかまたは邪馬臺が
ヤマトに変ったとしても、
それは後世のもので、
倭人章の邪馬臺でないことだけは、
はっきり断定できるのである。
<邪>と同じく<臺>も
上古音<ダグ>、
中古音<ダイ>、
近世音<タイ>である。
3世紀当時はせいぜい<ダ>までで、とうてい<ト>ではない。
こうした奇妙な間違いがなぜ横行してきたか、
それは字音が時代によって大きく変ったという事実や、
字音の内容について無知であった江戸時代の学者たちが、
いい加減につけた読み方が、似たような人々によって、
何の疑問ももたれずに現在まで踏襲されたということである。
ヤマタイコクなど実在しなかったのだ。
実在したのは邪馬の用字が示す
<ディオマ>、<ディァマ>あるいは<ヂウォマ>、
<ヂァマ>に近い発音をもった国名であった。
これは一見<ジョオウ>(女王)によく似ている、
だが<女>は上古音<ニョ>、
中古音<ニゥォ>または<ヌヂウォ>で、
<ディ>または<ヂ>という強い頭音をもっていない。
これは女王以外の、官名や伊勢や諏訪や祇園や賀茂、
そのほか実に多くのものが一致して示した<ジワ>が
<邪>の字の本体であり
国称の<マ>が<馬>の字の意味するものであったというほかない。
なぜなら、
それだけの痕跡を今に伝える国の名が
<ジワマ>と呼ばれたであろうことは
当然といえるのに他にそれに当るものがない。
さらにこれには中国側からの証拠といえるものがある。
「写真:カリー女神像」(加治木原図)
この像は北インドのものである。
シバ大神の妻であったカリーは、
仏教にとりいれられて訶梨帝菩薩と変化し
新らしい縁起を与えられた。
日蓮はこれを鬼子母神と訳したが、
一方ではインド亜大陸の南海地方で慈母聖母としての
愛の女神「カシー」となり、観世音の文字があてられた。
奈良朝の厚い崇敬にもかかわらず香椎廟が
当時の重要な祭政施行令であった
延喜式の神名から除外されているのは、
神功皇后を観世音すなわち仏と見ていたことの一証である。
なお前出の観世音菩薩鏡の像と見比べて戴けば
相互の類似が単なる空似でないことを
御理解戴けよう。(筆者所蔵)
それは中国で「邪教」という用字で呼ばれた起りが、
やはりこのジワ教を意味したという事実である。
文献に登場する邪教淫祠、
または邪神というのは、
いずれもヒンドゥ系の信仰を意味する。
このことはインド各地の石窟寺院の実態を知る私たちには、
すぐ納得のいく事実である。
注意を要するのは、この<邪>という用字が、
本来は<ジワ>に対する当て字であったということである。
それは別に非難の意味で用いられたのではない。
邪が悪の意味に転化したのは、
儒教や仏教が猛烈に排撃非難した影響で、
それ以前は善神と信じられたからこそ祭られていたのである。
こうした事実を知らず、邪を卑字であるとして、
女王国にわざわざこの悪い字を選んで使ったのは
中国人の中華思想のあらわれである。
と称してそれを軽蔑する風潮があったが、
それは彼自身の無知と下司の勘ぐりを曝露しただけで、
邪の字は別に倭人を卑しめて用いたのではなく、
ジワ教の名に一番適切な名で、
しかも中国での呼び名を用いるという、
ごく当り前なことをしたまでなのである。
同じことは卑弥呼の卑の字についてもいわれるが、
これも本来は卑でなく、
卑という別字が使われている。
無知プラスいい加減な想像がどんなに恥かしいものであるか、
ということをよく噛みしめておきたい。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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