2010年1月31日日曜日

鋸歯文にはどんな意味があるか


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-









 鋸歯文とはノコギリの歯に似たジグザクや三角形の連続した文様のことで、写真のアカの鳥居の横木にも、京都の山鉾の車輪に、はめられた鉄輪にもそれが彫られている。

 アジア各地の遺物にも多くの鋸歯文が見られるが、それらは単なる装飾ではなくて、動かすことのできない信仰上の重要な意味をもっていたと考えられる。

 それはヒンドウ教ではピラミッド型がシバ神を逆三角形がズルガー女神を意味する象徴であり、遺物の多くは祭器であったことが確認されているからである。

 器物につけられたこうした文様は他にも渦状文(渦巻型の文様)や、それが植物のワラビのように伸び上がったワラビ手文、その連なった連渦(れんか)文、雷(らい)文などがあり、やはり信仰上のものとされている。

<写真>

 ●グエバ・アカの鳥居

 ●山鉾の車輪

 ●朝顔型埴輪

 ●蓋付土器:フィリピン

 ●鳥形装飾付香炉:中国江蘇省

 ●象頭土器:タイ 

 『参考』



 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  

 
 


 歴史研究家「小嶋 秋彦」


2010年1月30日土曜日

鳥居と鳥は関係があるか


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 わが国の神社のもう一つの特徴は、必ず鳥居をもっていることである。

 その型式に多少の差はあるが、この鳥居は日本を東限に、北は中国の満州族、西はブータンからインドにまで広く分布している。

 タイのアカ族のものには木製の鳥の像がのせてあり、神の乗り物だからだという。

 同じ木の鳥は大阪府和泉市、池上遺跡からも出ている。

 アカの鳥居には男女の木偶が添えられていて、コケシそっくりのものもある。

 また木製の破魔矢や弓など、日本の信仰と同じものも作られている。

 その様式が素朴なことからみて、日本の鳥居やインド・サーンチーの三段の鳥居などの源流に近いものだと考えている。

<写真>

 ●ヤンツー・アカの鳥居。
  鳥のほか左端にワラビ手が見える。
  タイ国

 『参考』



 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  

 
 


 歴史研究家「小嶋 秋彦」
 


2010年1月29日金曜日

歌垣(かがい)

出典:加治木義博
日本人のルーツ
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<日本人のルーツ>-その探求の一方法-



『風土記』や『万葉集』に古代日本の風習として歌垣の行事があった記録が残っている。

いま西南中国から東南アジア一帯にかけて分布する山地民族の多くは、夜かがり火をたいて集まり、男女二組に分かれて歌と踊りの掛け合い合戦をやる。

日本の歌垣もまたこうした行事であったろうと見られている。

<写真>

●グエバ・アカの歌垣に集まった少女たち
:タイ国東北部

『参考』

『歴史の画像』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
シュメル-人類最古の文明

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歴史研究家「小嶋 秋彦」
歴史学講座『創世』うらわ塾 

2010年1月28日木曜日

神社建築はどこから来たのか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-




 『倭人章』には邪馬台国には卑弥呼の宮室と共に、「樓観」があったことを記録している。

 樓は二階建て、観は道教の教会のことである。

 香川県出土の銅鐸には、カレン人の造る竹の神殿そっくりの絵が描かれ、高い床、梯子、棟持柱などがはっきりみえる。

 棟持柱は今も伊勢神宮の建築に残るが、東南アジア各地に現存する特徴ある様式である。

 33ページのベトナム出土の銅鼓(どうこ)の絵も、棟持柱を描いてあるが、さらに注意してみると、その独特の形の屋根は、スラウエシ島に現存する神殿や、奈良県出土の「家屋文鏡」の建物と同型で、しかも屋上にわざわざ鳥の絵が描いてある点まで同じだ。

 このことは鳥居と同じ鳥がいることと共に、これらが神殿であることと、銅鐸、銅鏡、銅鼓は、同系の文化であり、技術者の作品だと考えられる。

 鏡の絵にはないが、他の写真を見て戴くと、建物は支えずに屋根の棟木の端だけを支えている柱が棟持柱である。

 筆者は、タイ国西部のメーホンソン付近で、カレン人が焼畑の豊作を祈るために、右ページの銅鐸の絵そっくりの高さ1mほどの神殿を、細い竹で作るのを実見したが、それにもこの棟持柱が、ちゃんと添えられていた。

<写真>

 ●銅鐸の棟持柱のある神殿図

 ●伊勢神宮神明造りの棟持柱

 ●家屋文鏡の神殿と鳥:奈良県出土:宮内庁蔵

 ●トラジャ族の神殿模型:インドネシア・スラウエシ島

 ●銅鼓上面に描かれた神殿図。
  上の家屋文鏡の絵やトラジャ神殿と見比べてほしい。

 『参考』



 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  

 
 


 歴史研究家「小嶋 秋彦」


2010年1月27日水曜日

「城柵厳設」は事実か

出典:加治木義博
日本人のルーツ
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<日本人のルーツ>-その探求の一方法-




『倭人章』には卑弥呼の宮室には

「城柵が厳しく設けられている」と書いてある。

それがどんなものであったかを想わせるものが、

やはりアカ族の村でもみられのである。

<写真>

●城柵厳設:ヤコン・アカ族の村:タイ北部

●神社模型:インドネシア








『参考』

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歴史研究家「小嶋 秋彦」
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2010年1月26日火曜日

千木のルーツはどこか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 わが国では仏教渡来以前の民族宗教は、天神地祇を祭ることであった。

 その祭り方にはいろいろな約束ごとがあり、今なお伝統を承けついでいるが、神社建築で目立つ特徴は棟先につけられた千木(ちぎ)である。

 それは古く家屋文鏡の絵にも描かれているが、実は千木はわが国の専売ではなく、東南アジア各地に広く見られる、聖なるシンボルなのである。

 それはインドネシアで牛頭をそのまま取りつけている(31ページ下)ように本来、牛の頭を象ったものであるが、日本の千木に最も近いものは、上のタイ国山地民族グエバ・アカ族の酋長の家のもので、天地神明造と同じく外(そと)削りになっている。
 
<写真>

 ●アカ族酋長宅の千木:タイ北部センチャイ村

 『参考』

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2010年1月25日月曜日

謎の弥生土器とその仲間

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 手焙り形土器と呼ばれる土器が弥生後期にみられる。

 これまでその用途は謎のままになっている。

 よく似た形の土器を今なお使っているのインドの金属技術者たちである。

 インドでは青銅器師のカンサカールに始まって、貴金属師のスパルナカール、鉄鍛冶のカルマカールと、カースト(世襲階級)が分化して現代に至っている。

<写真>

 ●インドの金属技術者
  手焙り形土器の中の木炭を長い吹管で吹いて高熱し、  金属を溶かして細工する。
  吹管は日本の火吹き竹と同じ性質の文化で、
  紀元前25世紀のエジプト第5王朝時代の
  壁面彫刻には、すでに似たものが見られる。

 ●手焙り形土器:大阪府船橋遺跡

 ●フィリピンの手焙り形土器

 ●手焙り形土器:大阪府茄子作遺跡

 『参考』

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2010年1月24日日曜日

弥生土器はどう作られたか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-





 その台湾の山地民族アミ族の人々は、今も手ずくねで自家製の土器を作っている。

 こうして作ったものは乾かしてから、この庭先で後ろに見える薪を使って露天焼きする。

 弥生土器を焼いた窯跡は見つかっていないし、その焼き上がりの一致からやはり露天焼きで作られたとみる学者があり、瀬川芳則同志社大学講師はタイ国にも現在、露天焼きが残っていることを報告している。

 右上の写真中、製作中の双耳壺(そうじこ)は水運び用で、頭にのせて運び、底は丸い。

 その形は韓国の百済甕棺墓出土のものに近く、大阪市<難波宮跡>などから出た土師器の鍋とも、把手(とって)の位置などがよく似ている。

 土師器もまた露天焼き土器とみられる土器である。

<写真>

 ●双耳壺アトモを作るアミ婦人。
  木製のヘラで整型する。
  手前の花ビンは神前用。
  向かって右端は甑(こしき)。
  台湾嘉義阿里山にて。

 『参考』

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2010年1月23日土曜日

八重山土器は弥生土器か

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 近年になって発見され、まだ広く知られていない器に沖縄県の八重山土器(向かって右)がある。

 その器形はカンボジアからインドへかけて今も作り続けられている水壺の特徴をもち、肩をとりまいてつけられた波状の櫛描き文まで一致する。

 南西諸島の弥生土器については、国分直一氏らの精密な研究があり、八重山の先史土器の源流は台湾東海岸の巨石文化であるとし、八重山文化圏からの北上の跡が、点々と東シナ海に残されていると指摘している。

 その巨石文化は76ページのとおり、はるか西からインド、インドシナを経て日本に達した文化である。

<写真>

 ●八重山土器 壺(形は須恵器に近い)

 ●弥生土器 壺

 『参考』

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2010年1月22日金曜日

水稲とっいしょに来た弥生人

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 弥生文化が水稲といっしょにやって来たことは、だれでも知っている。

 いまタイ国からビルマへかけての山地民族を調査してみると、そこでは細長いタイ米(上・インディカ種)ではなく、日本米(下・丸いヤポニカ種)よりさらに見事な、丸々とした大粒の米(中)が作られている。

 日本の初期水稲遺跡は自然の湿地帯を求めて開かれている。

 マレー語で水田をサワというが、まさに沢(さわ)こそ初期の水田だったのである。

 タイの山地民族はこの沢を利用して水田を作る。

 密林は火をかけて焼き払う。

 日本も当時は森林に覆われていたから、石斧で開くことは不可能だ。

 やはり焼くことから始まったと考えるほかない。

<写真>

 1 インディカ

 2 タイ山地米

 3 ヤポニカ(江州米)

 『参考』

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2010年1月21日木曜日

「弥生人の仲間」カレン人は日本にもいたのか




 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 弥生人の風俗を保っているカレン人の生活は、当時の生活を知る上の貴重な文化財である。
 
 カレンの歴史を詳しく語り伝える語り部の酋長は、その祖先はバビロン人で、その滅亡と共に大移動を続け、日本、朝鮮、旧満州に広く居住していた記録をもつ。

 事実カレン語は日本語と同系で、高句麗語とも、アイヌ語とも深い結びつきをもっている。

 こうみてくると高麗(こうらい)人を意味するコーレアン(KOREAN)という綴りはそのままでカリエンとも読める。

 タイ、ビルマの人々はカレンとはいわずカリエンと永く呼んできたのである。

 さらに彼らは卑弥呼を想わせる女性家長制を守り続けて今も酋長は老女である。

 古い日本の暮らしと共通したものは、まだ大量にあるが、その代表的なものを、も少しご覧に入れておこう。

<写真>

 ●カレンの高殿住居 

 ●徳之島の高倉模型


 『参考』

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2010年1月20日水曜日

「弥生人の仲間」下駄もカレン文化?



 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 カレンの婦人たちは竹と板とを組み合わせた簡単な機(はた)で織物を織るが、それは沖縄の読谷花(ゆんだんはな)織とそっくりで区別がつかない。

 また独特の下駄がある。

 その歯は四つ足になっていて、獣に乗ることから思いついたばかりの、原始的なアイデアのままである。

 クサビで張った皮の太鼓は奄美大島のものと完全に同じだし、渓流で小魚をすくう三角形竹網や荷物を背負う木製の”背負い子”も、日本のそれと同じ系統の文化である。

 また装身具も共通点が多い。

<写真>

 ●三角竹網

 ●クサビ太鼓

 ●カレン花織

 ●背負い子

 ●下駄

 ●腕輪

 ●ネックレス

 『歴史の画像』

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2010年1月19日火曜日

「弥生人の仲間」弥生人のスタイルは何式か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-






 弥生時代には埴輪のようなものは残っていないが、『倭人章』が3世紀当時の弥生人のスタイルについて、詳しく記録しており、それには「婦人は中国の単被(タンピ)のようで中央に穴を開けたものを、頭を貫いて衣ている」と書いてある。

 当時の中国の単被は下着で、布を二つ折りにして頭を出す部分を切り、両脇をひもで結ぶ簡単服で、チャイナ・ドレスの原型である。

 これに似て「頭を貫いて衣る」服を現代もなお守り続けている人々が、ビルマとタイ国にまたがって住むカレン人である。

 その服は頭と両手が出る部分を残してとじ合わせただけの、ごく簡単なものである。

<写真>

 ●白カレン未婚婦人服

 ●ポー・カレン未婚婦人服

 『参考』

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2010年1月18日月曜日

文身(いれずみ)・招頭・弓・女王・矛

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 『倭人章』の記事にはこれらのほかの女王の統治があるが、20ページの絵には三叉矛を持つ女性指揮者の姿がある。

<写真>

 ●カレンの文身(いれずみ)

 ●カレンの招頭

 ●銅鐸絵画の弓

 ●ダヤク族の弓

 『参考』

 『歴史の画像』

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2010年1月17日日曜日

13世紀の沖縄に倭人がいたか(弥生人の仲間)

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 邪馬台国で有名な『魏志倭人章』には22ページの”貫頭衣”を着、布で招頭(頭を包む)し、下が短く上を長く持つ特殊な弓を使う倭人の風俗が記録されている。

 この記事と全く同じ風俗の人々が13世紀の沖縄に現存したことを文章と絵で記録したものがある。
 
 寛元元年(1243)肥前から中国へ向かった日本の商人たちが、漂流して沖縄に流れついた時に書いた『漂到流球国記』がそれである。

 さらに、この風習をもった人々は今も東南アジア各地に見つかる。

 邪馬台国の謎はこうした部分から次第に解けつつあるものである。写真をよく見比べてほしい。

<図>

 ●漂到流球国記巻末絵図の一部:13世紀

 『参考』

 『歴史の画像』

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2010年1月16日土曜日

測量兼通信機器は鏡だったか

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著



 銅鏡のまん中にある「つまみ」を「紐(チュウ)」といい、
ふつうトンネル型の穴があいているが、<1>の鉄鏡だけは穴がないばかりか、穴に棒を通した形に作ってある。

 紐を囲んで四つのイボ(乳)があるが、これを東西南北とみると、棒の示す方向は少しずれており、北極星の位置と磁針のさす北との差に等しい。

 また子丑寅(ネ・ウシ・トラ)の十二支を書いた鏡や、四方八方をさす目じるしがあるものなど、鏡は方位を測定し、光の反射で直線測量をする測量通信器として役立つものが多い。

<写真>

 1 鉄製方位鏡(鹿児島県)

 2 青銅製神獣鏡(2世紀=台湾)
   1と同じ図柄であることに注意

 3 花文明光漢鏡(宮崎県)

 4 方格四神鏡(鳥取県)

 5 絵入十二支鏡(清朝=中国)

 6 花文日月明光漢鏡(鳥取県)

 7 三獣鏡(京都府)

 8 赤銅製花文鏡(鹿児島県)

 『参考』

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2010年1月15日金曜日

古墳の設計はどうなっているか・応神陵を構成する線の謎

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著




<古墳の設計はどうなっているか>
 こうした精密な測定と設計は<古墳の配置>だけでなく、古墳そのものの設計の上にも見られる。

 その一例として応神天皇陵をここに挙げておく。

 それは単に多数の人民を動員して、世界最大の墓を造った、というだけのものではなく、当時の日本人が高度の<測量技術>までもった、高い文明の持ち主であったことを立証しているのである。

 その高い測量器はどんなものを使ったか、などを考え、明らかにする必要がある。

<応神陵を構成する線の謎>

 1-2 磁針による南北線       

 3-4 地軸による真方位の南北線

 1 安閑皇后陵 4 古室山古墳 5 安閑天皇陵

 6 仲津姫皇后陵 7 敏達天皇陵 9 日本武尊陵 

 10 允恭天皇陵 11 聖徳太子墓 12 城山古墳

 15 推古天皇陵 16 城山古墳 17 清寧天皇陵

 19 孝徳天皇陵 22 吉備内親王墓 23 松塚

 24 河内大塚 25 黒姫塚 26 孝霊天皇陵 

 27 大津皇子墓 28 雄略天皇陵 

 32 仁徳天皇陵 35 仁徳天皇陵
  
 などを結ぶ線が陵の形を形成している。

 『参考』

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2010年1月14日木曜日

古墳人は大測量技術の持ち主

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著



 仁徳天皇陵から応神天皇陵へ直線を引き、

それをさらにまっすぐに延長して行くと、

武烈天皇陵を経て崇神天皇陵に達する。

 その直線をさらに東へ延ばして行くと、

はるかに<伊勢神宮の古い社地>に達するという事実がある。

 この間、仁徳~応神間:11km。

 応神~伊勢神宮旧社地間:110km。

 単に直線上に並べただけでなく、

その間の距離が11の倍数になるように、

正確に測定して配置してある。

 この東西線に対して、

北は京都の下鴨神社から

奈良大仏殿、崇神陵、景行陵、良助(ろうじょ)法親王墓>

などを貫き通って、

海抜2000mに近い紀伊山地の聖宝の宿(しゅく)跡などを一直線に結び、

<熊野の新宮大社>に至る。

 それらの直線は現代の精密な地図で測定しても

全く誤差がない。

<図>古墳の<東西線と南北線>

 『参考』

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2010年1月13日水曜日

ことばと石斧の関係は何か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著



 有肩(ゆうけん)石斧とオーストロ・アジア語の分布が、完全といえるほどに一致することは、古く松本信広氏らの研究で立証されているが、日本でも新石器から古墳の副葬品にまで有肩石斧がみられる。

 これを手がかりに、日本語を検討してみると、やはりオーストロ・アジア語との共通語がみつかり、古代にこの言葉を話す人々が、日本列島に住みついていたことが証明される。

 有肩石斧は鉞(まさかり)の形に特に関係が深いとされるから、これも見逃すことはできない。

 銅鉞(どうえつ)は儀式用とも考えられているが、有肩石斧の大型のものも同様である。

<オーストロ・アジア語の分布>

 1 チョタナグプール語群
 2 ケルワーリー語群
 3 ムンダー語群
 4 ヒマラヤ語群
 5 カシ語
 6 ワ語群
 7 モン語 
 8 モン・クメール諸語
 9 スマン・サカイ語
 10 ニコバル語
 11 フィリピン諸語
 12 高砂語群

 ※数字は右図の石斧の出土地を示す。

<写真>

 ●銅鉞(どうえつ):殷(中国)

 『参考』

 『歴史の画像』

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 歴史研究家「小嶋 秋彦」
 歴史学講座『創世』うらわ塾 

2010年1月12日火曜日

有肩石斧とその仲間

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著



<写真>

<有肩石斧とその仲間>

 人が肩をはったような形をしているので有肩という。

 数字は15ページの分布図の地域を示し、

 そこで見つかったものという意味。

 8イ:柄の部分が欠けている(長さ17㎝)

 8ロ:石ノミ

 9は進化したもの

 A、C:青銅製(タイ・パンチェン。約4000年前)

 B:鉄製(中国雲南省個旧出土) 

 『参考』

 『歴史の画像』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
 シュメル-人類最古の文明

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 歴史研究家「小嶋 秋彦」
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2010年1月11日月曜日

「ヨロイ」はギリシャ式かアイヌ式か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著






 古墳時代の人が使った「よろい」は大きく分けて二つの型がある。

 一つは胴だけを守る「短甲(たんこう)」で、もう一つは腰から下も保護する「挂甲(けいこう)」で、どちらも鉄製であるから重い。

 短甲はギリシャやローマで使われたものとよく似て比較的軽く、剣で闘うのに便利なので歩戦用と考えられている。

 挂甲の方は重くてとても歩いては闘えないから騎馬用とされてきた。

 しかし写真のように現在サハリンのアイヌ人が、全く同型のものを革で作っているのをみると、アイヌ人は馬を使わない人々だから、騎馬用というのは疑問である。

 アイヌ人は古くは日本全域に住んであり、日本人に同化した人々と北上した人々があった。

 挂甲を遣したのはアイヌ系の人々だったとみることは可能である。

 だが現在のアイヌの人たちは<古墳>を造らない。

 サハリン・アイヌ人が古墳人の子孫であるかどうかは、この革の挂甲だけで結論を出すことはできない。

 しかしこれまで日本人とアイヌ人は、異民族視されてきたが、たとえば日本語の<眼>は、アイヌ語で<ケレッ>で、カレン語では<メキリー>という。

 日本の<メ>と、アイヌの<ケレッ>を足して、やや方言化した形をもち、本来一つの言葉が三つに分かれた形になっている。

 こうしたものは他にも多いから、従来の異民族視は改めて再考の余地があろう。

<写真>

 ●アレクサンドロスの鎧:ボンベイ出土の壁画 

 ●挂甲(鉄):大阪府長持山古墳出土

 ●挂甲(革):サハリン・アイヌ

 ●短甲(鉄):宮崎県えびの市

 ●短甲(胴):ギリシャ

 『参考』

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2010年1月10日日曜日

三味線と民謡のルーツは

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著



 三味線は江戸時代に沖縄の三線(さんしん)から改良されたものとされてきた。

 三本の弦をかき鳴らす楽器は世界中でも案外少なく、沖縄の向うの台湾、中国西南部、タイ、ビルマ、インドの一部、遠くとんでもモロッコにあるだけである。

 タイの山地民族のうち、リス族のものは大小あり、大は三味線と、小は三弦と棹の長さがぴったり一致する。

 アカ族のものは三線と一致して短い。

 歌口(うたぐち)も三つの穴だけで最も原始的である。

 その名前も始めは一つであったことがわかる。

 リス語のスブーとシャミ。

 カレン語のサンとサンシンは方言関係にある。

 曲もアカ族の<かごめかごめ>、リス族の<安来節>そっくりのものや、沖縄の”赤馬踊り”と同じ歌や伴奏の「マググヮー」という踊りがある。

 沖縄方言で「マググヮー」といえば「孫子(まごこ)」のことだが、リス族のそれも子孫の繁栄を祈るものである。

 こうみてくると、三味線は江戸時代よりもはるかに古い時代に<かごめかごめ>の古謡や、<安来節>などの民謡と一緒に、日本へ入ってきていたことがわかる。


 <写真>

 1 三弦(台湾)

 2 スブー

 3 スブー

 4 ジョカジョカ又はドンディユー

 5 ジョカジョカ又はドンディユー

 6 ジョカジョカ又はドンディユー

 7 サン

 8 スブー

 9 三味線の棹(さお)

 『参考』

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2010年1月9日土曜日

埴輪スタイルはどこのものか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著

















この埴輪の女性たちは頭に何かをのせている。

 従来はこれを後世の島田髷のようなものとしてきたが、リス族もギリヤーク族も帽子をかぶっているのをみると、帽子でなかったとはいえないと思う。

 9ページの埴輪は袈裟襷をかけている。

 この習俗は現代でもタイ国女性の公式の風俗である。

 タイ国には古来、山地民族が混住し、リス族のわらじが日本のものとそっくりであるように同じ水稲文化を分けあっている。

 日本語と関連のあるタイ語も多く、小唄などにもよく似たものがある。

 タイの人々とは山地民族だけでなく、古代の交流が充分考えられるのである。


 <写真>

 ●婦人埴輪:7世紀(栃木県)

 ●鮭皮の服:ギリヤ―ク(シベリア)

 ●婦人埴輪:7世紀(栃木県)

 ●鮭皮の服:ギリヤ―ク(シベリア)

 ●婦人埴輪:6世紀(群馬県)

 ●タイ婦人の正装(チェンマイ)

 ●首飾り:リス族(タイ)

 ●わらじ:リス族(タイ)

 『参考』

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2010年1月8日金曜日

婦人服のルーツは



 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著

 埴輪でわかる婦人服の特徴は、前身(み)ごろが広く、肩の前と胴で止めている。

 これは中国奥地からタイ国産地に住むリス族や、中国東北部の満州族、シベリアのギリヤーク族の衣服と、右前である点を除けば共通点が多い。

 <写真>

 ●リス族婦人服

 『参考』

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2010年1月7日木曜日

曲玉は何を語るか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著

 参考:
 言語復原史学会・加治木義博



 曲玉は獣の牙から発達した装飾するほかに、太陽や胎児とも結びつけて霊的なお守りとされたが、日本で特に発達して古墳人に愛用され出土量も多い。

 そのことを考えると曲玉は古墳人の足跡をはっきり示す。

 その分布は中国におよび、古墳人の勢力範囲の広さがわかる。


 <写真:曲玉出土地>

 1 島根県

 2 鹿児島市出水市

 3 大阪府柏原市

 4 中国遼東半島7世紀

 5 中国東北区六朝時代

 6 韓国扶余5世紀

 7 韓国慶州5世紀

 8 中国東北区4世紀

 9 朝鮮民主共和国3世紀

 10 アイヌ金属首飾り(曲玉の仲間)

 11 埼玉県(あがべ玉)5世紀

 12 チベットの首飾り(曲玉の仲間)

 13 台湾パイワン族の首飾り(曲玉の仲間)

 14 愛知県渥美半島6世紀

 『参考』

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2010年1月6日水曜日

日本人は日本列島土人か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著

 参考:
 言語復原史学会・加治木義博



 これまでの説では、日本人は日本列島の上で増加した民族で、旧石器時代からほとんど変化がなく、縄文、弥生、古墳といった文化の差は、単に外来文化を取り入れただけに過ぎない、とするのが有力だ。

 だがそれなら右のべットナー=ヤヌシュの血液型分布図と合わないことになる。

 分布図では同じ型の血液をもった人々が構成する血縁社会が、広い地域全体をすっぽり覆いつくすのが原則である。

 だからもし日本人が、この列島上だけで孤立して増え続けたものなら、他の広大な<血縁社会>以上に、狭い島国では純粋な血液型に独占されていなければならない。

 現在のようなABOの三型が一様に入り混じったものには絶対にならない。

 より一層どれかに偏っていなければならない。

 <図>

 ●血液型分布図(上から対人口の100分比)

 ●べットナー=ヤシュ(1966年による)

 それにぴったり隣接している強力なB型圏の、モンゴル勢力に包み込まれるはずなのに、そうなっていないことも、有力な証拠である。

 このことは言語や他の文化が、やはりモンゴル系と余り結びつかない事実と共に、日本人のルーツが一系統でなく、複数であることを立証している。

 日本人がこの列島上で、孤立して成長したという考え方は、これではっきり否定される。

 また、日本の史書はすべての他の地域からの移民の立場に立って、「天孫降臨」や「神武東征」を語り、異民族との結婚を繰り返して伝え、大量の帰化や渡来人を記録している。

 その文化と血液のルーツを、さらに深く追求して行ってみよう。


 『参考』

 『歴史の画像』

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2010年1月5日火曜日

埴輪はどこから来たのか

 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著






 参考:

 言語復原史学会・加治木義博

 古墳に副葬されている埴輪は、日本だけのものと考えがちだが、それは古代中国や古代エジプトにもみられる習慣で、その源流をたずねると、作り物の偶像を霊あるものと信じる信仰は、石器時代の石偶や、洞窟や岩盤などの絵画にまでさかのぼる。

 同じ性質のものはキリスト教徒の墓からも出土し、また病気を治すための「人形(ひとがた)」として、厄払いに棄てる習俗は日本のヒナ流しや、東南アジア各地にのこるさまざまな行事となって、今も残っている。

 南アメリカでは土偶、石偶のほかに、黄金偶なども出土する。

 日本の埴輪は中国のものに一番性格が似ている。

 <写真>

 1 黄金偶(ボリビア・7世紀・レプリカ)

 2 黒色土偶(台湾パイワン族・近世)

 3 慈母偶(タイ・宋胡禄)

 4 聖者像(スペイン・キリスト教徒墓副葬品)

 5 土偶(エジプト・貴族墓副葬品)

 6 土偶(エジプト・貴族墓副葬品)
 
 7 木偶(エジプト・18王朝・レプリカ)

 8 婦人俑(中国・三国時代)

 9 馬俑(中国・後漢時代)

 10 王夫妻木偶(インドネシア・16世紀)

 11 婦人俑(中国・南朝時代)

 『参考』

 『歴史の画像』

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2010年1月4日月曜日

古墳は何を象ったか(古墳の謎)



 出典:加治木義博
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著

 参考:
 言語復原史学会・加治木義博

 代表的古墳である<前方後円墳>の形は、何を意味しているのだろうか。

 死者を弔う目的と日本人のルーツからみて、右の須弥(しゅみ)世界図を象ったものという考え方もあっていいと思う(古墳は時と共にかなり形が崩れている)。

 須弥世界とは仏教の世界観で、古代インド人の故郷<シュメル>と結ぶ説もある。

 このほか円墳・方墳は、円形は天を、方形は地を意味する中国の思想、などとの結びつきが考えられている。

 <写真:箸墓(奈良県)>

 <図:仏典須弥世界図(インド古写本)>

 『歴史の画像』

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2010年1月3日日曜日

初めに



 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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 日本人なら必ず知っていなければならないはずの常識。

 日本人の先祖はどこから日本列島へやってきたか、をご存知ですか。

 『古事記』『日本書紀』には、高天原(たかまがはら)からやってきた人々と先住民が結ばれた書いてあり、水稲や鉄器、馬などが海外からきた文化で、その持ち主も日本人の先祖であったと考えられています。

 しかし、いざどこからかというと、旧石器時代から土着説、北方説、南方説などさまざまで、専門家でも即答は無理なありさまでした。

 世界の先進国のなかで、自分たちの先祖のルーツがまるでわからないという遅れた国は日本だけです。

 そのため外国には日本人を正体不明の不気味な人種と思っている人が多くて、経済など国際摩擦の原因になっていることも少なくありません。

 しかし、今の日本は物質など国際交流なしでは生存さえ難しい国であり、また日本人が世界の人類と血を分けた一員であることはいうまでもないと思います。

 ことに古墳文化などは予想以上に高い文明の所産で、日本人はユーラシア大陸の古代文明を受け継いでいるとみられえます。

 決して日本人のルーツは謎ではなく、はっきりとさせることができると思います。

 また、従来もすでに多くの研究がありますから、本書ではそれ以外の新しい証拠をご覧にいれて、読者ご自身が表題と写真を見比べてよく観察し、それがどう答えるかを見出して戴くように努めました。

 『参考』

 歴史の画像
 『歴史の画像』

2010年1月2日土曜日

日本人のルーツ表紙


出典:加治木義博
    日本人のルーツ
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    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

           加治木義博著


 ●エスキモー三角頭土偶:カナダ・シベリア
 
 ●三線(蛇皮線)

 ●手焙り土器:フィリピン

 ●リス族:タイ

 ●ガルーダ(烏天狗):インドネシア

 ●竜王護仏像:インドネシア・東南アジア各地

 ●千手千眼観世音:チベット・ネパール

はじめに

 私は加治木義博先生の著書をブログとしてテキスト化

 してきましたが、ブログでは画像で紹介できませんでしたが、

 今回、このブログで画像を紹介していきたい願望が強く

感じましたので、画像のブログとして転載するつもりでい
ます、

 加治木先生は今年87歳になられました。

 私は丁度20歳年下です。

 私はリタイヤ後の生涯の生きがいとして、

 真実の日本の古代の歴史を伝えていくつもりです。

 ひねもすパソコンに向かって暮らすつもりです。

 皆様、今後とも宜しくお願いします。

 平成22年1月吉日