2010年1月22日金曜日

水稲とっいしょに来た弥生人

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 弥生文化が水稲といっしょにやって来たことは、だれでも知っている。

 いまタイ国からビルマへかけての山地民族を調査してみると、そこでは細長いタイ米(上・インディカ種)ではなく、日本米(下・丸いヤポニカ種)よりさらに見事な、丸々とした大粒の米(中)が作られている。

 日本の初期水稲遺跡は自然の湿地帯を求めて開かれている。

 マレー語で水田をサワというが、まさに沢(さわ)こそ初期の水田だったのである。

 タイの山地民族はこの沢を利用して水田を作る。

 密林は火をかけて焼き払う。

 日本も当時は森林に覆われていたから、石斧で開くことは不可能だ。

 やはり焼くことから始まったと考えるほかない。

<写真>

 1 インディカ

 2 タイ山地米

 3 ヤポニカ(江州米)

 『参考』

 『歴史の画像』

 翻訳と辞書 [無料] 
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
 シュメル-人類最古の文明

 歴史徒然
 
 ウワイト(倭人)ウバイド
 
 歴史回廊(遷都)

 古代史の画像 

 歴史研究家「小嶋 秋彦」
 歴史学講座『創世』うらわ塾 

0 件のコメント:

コメントを投稿