2012年11月12日月曜日
旁国本州説の地名と比較地図
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学講義録 11 7頁
「図」旁国本州説の地名と比較地図
《旁国本州説の地名と比較地図》
「旁国本州説の地名と比較地図」
本州説 現在の都道府県
1 志摩 三重県
2 石城(いわき) 福島県
2 能生 新潟県
3 伊勢 三重県
4 九鬼 福岡県
4 伯耆 鳥取県
4 栃木 栃木県
5 美濃 岐阜県
6 加古 兵庫県
7 武庫 兵庫県
8 茅沼 大阪府
9 土佐 高知県
10 讃岐 香川県
11 御油 愛知県
12 鹿苑 静岡県
12 金沢 石川県
13 紀伊 和歌山県
14 伊賀 三重県
15 鬼怒・毛野 栃木県
16 山辺 奈良県
17 久世 京都府
18 播磨 兵庫県
19 紀伊 和歌山県 ※紀伊(熊野=狗奴国)
19 知立 愛知県
20 宇野 岡山県
21 能登 石川県
21 能生 新潟県
(伊都)
この地図をみると疑問が次々に湧いてくる。
その主なものをあげてみよう。
① 国々が余りにもバラバラである
原文には旁国を列挙した最後に
「次 有 奴国 此 女王 境界 尽きる所。
其 南 有 狗奴国 男子を王と為す 其 官 有
狗古智卑狗、不属 女王」と書いてある。
これは旁国が一連の政治勢力圏を形成していたからこそ
「狗奴国は境界外=勢力圏外にある」と、
対比して書けるのだから、
旁国は一丸となった女王国圏を構成していたことを証明している。
ところが本州説の地図だと、
その名が旁国名と共通する国々ははとんど隣接せず、
あいだに「女王に属しない国々」が大量に挟まっている。
それらの不属の国々は、
敵または敵になる可能性のある国々なのだから、
この本州に旁国があったとする説では、
それらの国々は全然政治圏を形成していない。
これでは属国だという記録に合わず、
本州説は成立しない。
② 狗奴国以外の「不属 女王」の国々が大量にあり過ぎる
でもムリに旁国だったと仮定してみても、
それなら数多く隣接する、
それらの大量にある「不属 女王」の国々をなぜ書かずに、
たった1国だけ狗奴国だけを、わざわざ書いたのか?
まるで理解も説明もできない結果におちいつてしまうのである。
⑥ 国のサイズが巨大すぎる本州説の誤り
また帯方郡使が記録した対馬国1000余戸、
一大国3000ばかりの家、末盧国4000余戸というのは、
だれがみても町村ていどの戸数の国ばかりなのに、
旁国と同名の、この地図の国々をみると、
大半が府県単位であって、
戸数は少なく見積もっても10倍以上、
100倍以上と考えられるものもある。
ちなみに現代の人口をみてみると、
対馬約5万人、壱岐約4万人、松浦郡約10万人で、
古代の一戸を20人ぐらいとすれば、
対馬約2万人、壱岐約6万人、松浦郡も約8万人で、
1700年も経過した大きな時代差のわりには、
人口の変動が少ないことが立証できる。
ところが本州説に合わせて作ったこの地図では、
西からみていくと土佐の高知県80万人、
讃岐の香川県約100万人、
播磨の兵庫県約500万人、
茅沼の大阪府約800万人、
紀伊の和歌山県約100万人、
伊勢の三重県約160万人、
美濃の岐阜県約190万人などと、
10倍から100倍単位である。
時代差による人口増は
明治初年でも全国で3千万人ていどだったものが
1億数千万人に殖えても、
結局は数培になったに過ぎない。
3世紀に1千万人ていどだったとしても10数倍にすぎない。
だから100倍単位というケタ違いの国の大きさは、
これらは3世紀当時の旁国が人口が殖えたものではなく、
後世に移動拡大したあとの国々だという動かない証拠で、
3世紀の旁国が他の地域にあったことを立証している。
⑦ 戸数を特記しないことが本州説の誤りを証言している
郡使は邪馬壹の7万戸がずば抜けて大きく、
政権交替後の第二の奴国もまた2万戸と特記しているが、
それなら1戸20人として140万人と40万人である。
仮に旁国中に1万戸20万人もいる国があれば、
それは倭人が必ず特別に教えたはずだ。
だがそんな例は1つもなく、
旁国はただ単に国名だけが記録された。
その記録者は帯方郡からやってきた梯儁以外にはないが、
彼は特記しないことで旁国が町村ていどの小国だったことを
立証している。
本州四国の府県単位の大国化した後身ではないと、
明確に証言しているのである。
⑧ なんと!?首都・伊都国や敵国・狗奴国まで
小国・鬼国の中に!?
本州説にはさらに奇妙な珍現象がある。
伊都国は「世々王有り、皆、統属女王国」と記録するので、
卑弥呼の本領地女王国とは全く別の国だが、
帯方郡使は2人とも伊都に駐在して以遠には
進まなかったから、
梯儁は伊都で卑弥呼に拝假して(面接して)
魏の皇帝の詔書と親魏倭王の金印紫綬、
百面の鏡以下の贈り物を規則どおりに手渡した。
そのとき卑弥呼がいた伊都国こそ、
卑弥呼を王として共立した倭人連邦の首都だったことが
明瞭にわかる。
また狗奴国は女王の勢力下に入らず、
数年後には卑弥呼政権を滅亡させた敵国である。
が、なんと!本州説は、
町村ていどの国だった鬼国を和歌山県だと主張して、
地図でご覧の通り、
その首都国(伊都郡)と、
敵国狗奴国(熊野)とをその鬼国の中に入れていのだ…!?。
『大学講義録14』
1 倭を呼ぶ5種類の名
《倭を呼ぶ5種類の名》
「倭を呼ぶ5種類の名」
2 代々女王国に属していた伊都国
《代々女王国に属していた伊都国》
「代々女王国に属していた伊都国」
3 卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国
《卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国》
「卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国」
4 山幸と邪馬壹国とは全く同じもの
《山幸と邪馬壹国とは全く同じもの》
「山幸と邪馬壹国とは全く同じもの」
5 遺跡が充満した邪馬壹国の跡地
《遺跡が充満した邪馬壹国の跡地》
「遺跡が充満した邪馬壹国の跡地」
6 首都占領で収まった倭国内乱
《首都占領で収まった倭国内乱》
「首都占領で収まった倭国内乱」
7 『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」
《『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」》
「『海幸山幸』の「鈎(ハリ)」は隼人の「隼」」
8 巴利国が壹與時代の邪馬壹国
《巴利国が壹與時代の邪馬壹国》
「巴利国が壹與時代の邪馬壹国」
9 巴と巴利とバーリとPとポセイドン
《巴と巴利とバーリとPとポセイドン》
「巴と巴利とバーリとPとポセイドン」
10 イズンの子孫地名とポセイドン信仰
《イズンの子孫地名とポセイドン信仰》
「イズンの子孫地名とポセイドン信仰」
11 日本語はなぜ清濁がアイマイか
《日本語はなぜ清濁がアイマイか》
「日本語はなぜ清濁がアイマイか」
12 ソナカ布教団の移動経路
《ソナカ布教団の移動経路》
「ソナカ布教団の移動経路」
13 『日本誕生』は卑弥呼から
《『日本誕生』は卑弥呼から》
「『日本誕生』は卑弥呼から」
14 広域に及んだアリアン大移動
《広域に及んだアリアン大移動》
「広域に及んだアリアン大移動」
15 穂穂手見はポセイドンヘの当て字
《穂穂手見はポセイドンヘの当て字》
「穂穂手見はポセイドンヘの当て字」
16 冒頭にギリシャを意味する名乗り
《冒頭にギリシャを意味する名乗り》
「冒頭にギリシャを意味する名乗り」
17 『崇神天皇紀』の謎の登場者の正体
《『崇神天皇紀』の謎の登場者の正体》
「『崇神天皇紀』の謎の登場者の正体」
18 藤原氏の出身地・百済は南種子
《藤原氏の出身地・百済は南種子》
「藤原氏の出身地・百済は南種子」
19 古今『長谷ん野 物語』
《古今『長谷ん野 物語』》
「古今『長谷ん野 物語』」
20 壹與の豊富多彩な歴史記録
《壹與の豊富多彩な歴史記録》
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21 箸墓古墳は長谷=百済王の墓
《箸墓古墳は長谷=百済王の墓》
「箸墓古墳は長谷=百済王の墓」
22 百済・武寧王は、武内一族
《百済・武寧王は、武内一族》
「百済・武寧王は、武内一族」
23 朝鮮半島の百済は後世の植民地
《朝鮮半島の百済は後世の植民地》
「朝鮮半島の百済は後世の植民地」
24 百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録
《百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録》
「百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録」
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《クダラからクジラ、語源は馬の国一覧リスト》
「クダラからクジラ、語源は馬の国一覧リスト」
26 卑弥呼の別名・阿加流比売(アカリウシメ)は鹿児島姫 (一覧リスト解説)
《卑弥呼の別名・阿加流比売(アカリウシメ)は鹿児島姫 (一覧リスト解説)》
「卑弥呼の別名・阿加流比売(アカリウシメ)は鹿児島姫 (一覧リスト解説)」
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《古代沖縄のギリシャ文明遺物》
「古代沖縄のギリシャ文明遺物」
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《箸=丹塗り矢、箸墓伝説は誤解の産物》
「箸=丹塗り矢、箸墓伝説は誤解の産物」
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《箸墓を248年とする編年は間違い》
「箸墓を248年とする編年は間違い」
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《シュメール・シュメル》
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《ウバイド》
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《倭人(ウワイト)》
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《魏書倭人章》
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《日本書紀・古事記》
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《三国史記・三国遺事》
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