2012年11月19日月曜日

高尾野町堂前古墳



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学講義録 24 28頁



 「図」高尾野町堂前古墳
 《高尾野町堂前古墳
 「高尾野町堂前古墳

 『弥奴国に現存する我が国最古代の古墳』

 女王国の旁国中の「弥奴国」は、

 卑弥呼が共立される以前の

 「沖縄~南九州~高句麗連邦」の首都であり、

 のちに仲哀天皇の皇子・籠坂(カゴサカ)王(鹿児島王)が

 討たれた宮之城であることも、

 私たちには詳細にわかっている。

 その宮之城の北西武には1000mを超える紫尾(しび)山がある。

 これは今はシビサンと読むが、シオ山とも読めるから、

 はじめは死王山だったが、

 いい名ではないので文字を変えた可能性があるし、

 喪山もソオ山と読めるので

 『記・紀』の編集者がソナカのソ王を喪とて字したか、

 また、死王山か柴尾山から喪山に変えた可能性もある。

 だが柴尾山は古墳ではない。

 宮之城=弥奴に別に古墳が築かれたとみるのが正しい。

 大学講義録12の付録、

 上(かん)村俊雄氏の『南九州の古墳文化』で、

 よくおわかりのように、

 この弥奴国の北西部に入る出水郡高尾野(たかおの)町の

 「堂前(どうまえ)古墳」は地下式板石積み土壙(どこう)だが、

 供えられていた土器が弥生土器だったことで、

 間違いなく我が国最古の3世紀古墳であることが確認された。

 上村氏もこの

 「堂前古墳の調査によって、

  これまでの古墳時代の概念は一新された」と書いておられる。

 そこには1基の円形墳と16基の方形墳がある。

 その円形墳が中心人物の古墳で、

 方形墳が臣下のもののようにみえる。

 喪山のモデルは、

 その円形墳か、墓地全体を指す可能性が考えられるから、

 堂前古墳はソナカの喪山の実物だった資格を充分備えている。

 『大学講義録21』

 1 観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相
 《観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相
 「観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相

 2 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)』とは
 《『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)』とは
 「『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)』とは

 3 不滅の石彫文化財に記録されたソナカ仏教宣布団
 《不滅の石彫文化財に記録されたソナカ仏教宣布団
 「不滅の石彫文化財に記録されたソナカ仏教宣布団

 4 アソカ仏教宣布団の規模と陣容
 《アソカ仏教宣布団の規模と陣容
 「アソカ仏教宣布団の規模と陣容

 5 宣布団の指揮者名は名乗り
 《宣布団の指揮者名は名乗り
 「宣布団の指揮者名は名乗り

 6 天皇の名乗りはマガダ政権からの伝統
 《天皇の名乗りはマガダ政権からの伝統
 「天皇の名乗りはマガダ政権からの伝統

 7 ソナカは「金人」で「犬人」
 《ソナカは「金人」で「犬人」
 「ソナカは「金人」で「犬人」

 8 崇神天皇の四道将軍は日本の話か?
 《崇神天皇の四道将軍は日本の話か?
 「崇神天皇の四道将軍は日本の話か?

 9 崇神・四道将軍はアソカ宣布団の記録の混入
 《崇神・四道将軍はアソカ宣布団の記録の混入
 「崇神・四道将軍はアソカ宣布団の記録の混入

 10 パーリ語人ソナカらが残した現存する遺物
 《パーリ語人ソナカらが残した現存する遺物
 「パーリ語人ソナカらが残した現存する遺物

 11 仏教宜布団がもってきた弥生時代の米
 《仏教宜布団がもってきた弥生時代の米
 「仏教宜布団がもってきた弥生時代の米

 12 熱帯ヤポニカ稲のDNAが明示する仏教東伝コース
 《熱帯ヤポニカ稲のDNAが明示する仏教東伝コース
 「熱帯ヤポニカ稲のDNAが明示する仏教東伝コース

 13 巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作
 《巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作
 「巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作

 14 縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡
 《縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡
 「縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡

 15 「弥生時代」が始まった地点
 《「弥生時代」が始まった地点
 「「弥生時代」が始まった地点

 16 殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」
 《殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」
 「殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」

 17 殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡
 《殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡
 「殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡

 18 弥生時代を開いたのはマガダ文化
 《弥生時代を開いたのはマガダ文化
 「弥生時代を開いたのはマガダ文化

 19 発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚
 《発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚
 「発掘考古学のマイナス要素が作った幻覚

 20 マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡
 《マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡
 「マレー語と沖縄語に残ったソナカの足跡

 21 ソナカ宣布団が残した共準の名詞群
 《ソナカ宣布団が残した共準の名詞群
 「ソナカ宣布団が残した共準の名詞群

 22 天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡
 《天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡
 「天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡

 23 誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲
 《誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲
 「誰が開拓したか?弥生前期に弘前に水稲

 24 銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」
 《銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」
 「銅鐸はウッタラ宣布団の「絵解き読本」

 25 水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話
 《水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話
 「水稲稲作と仏足石(ぶっそくせき)が生んだ民話

 26 南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名
 《南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名
 「南九州語の「大・小」は稲作の運び手の名

 27 4種類以上の稲が拓(ひら)いた古代日本の稲作文化
 《
 「

 28 広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡
 《広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡
 「広東の古代稲作遺跡は卑弥呼の観世音遺跡

 29 『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』
 《『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』
 「『妙法蓮華經観世音菩薩普門品偈』

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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