2012年11月15日木曜日

古墳はギリシャの葬制による須弥山図曼荼羅



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学講義録 20 12頁
 


 「図」古墳はギリシャの葬制による須弥山図曼荼羅
 《古墳はギリシャの葬制による須弥山図曼荼羅
 「古墳はギリシャの葬制による須弥山図曼荼羅

 『卑弥呼の仏教は後の真言密教の先祖』

 しかしこの『十二天曼荼羅』の二図は、

 理明房興然(りみょうぼうこうねん)が集めた

 『諸尊曼荼羅集三巻』の中にあるもので、

 文章に簡単な略図をそえただけのものだったが、

 弟子の光宝大僧頭(だいそうづ)がその略図に

 油紙を重ねて幾つかの図像を詳しく描き、

 さらに定真(じょうじん)がそれを補って

 天福元年(1233年)に完成したもので、

 今は隆聖がそれを写した複製本が京都の東寺にあるだけである。

 なぜ?、日本では弘法大師空海以後につくられた曼荼羅に、

 卑弥呼当時の知識がそのまま残ったのであろう?。

 空海は804年に入唐して慧果に法灯を譲られ、

 806年に帰朝している。

 13世紀の天福よりは早いが、

 卑弥呼からは6世紀が経過している。

 これは我が国に伝わっていたものと考えるよりも、

 インドに古くあったものが卑弥呼らの『鬼道』になり、

 それとは全く無関係に別ルートで伝わったものが

 『十二天曼荼羅』として表現されたが、

 いま私たちが見るとそれが同一のものだったことが明瞭になった、
 
 ということ以外にはない。

 これで卑弥呼の仏教が、

 のちの真言密教にいちばん近いものだったことがわかった。

 それが観世音菩薩を信仰するのはなぜか、

 これでほぼ答が出た。

 そればかりではない。

 弘法大師は唐で師の慧果との会話に不自由せず、

 永年慧果に師事した兄弟子の唐僧らをさておいて、

 法灯を譲られて日本に持ち帰った。

 それがなぜだったか、

 その謎もこれで解けるのである。

 『古墳はギリシャの葬制による須弥山図曼荼羅』

 そればかりではない。

 倭国の王たちが、

 なぜ前方後円墳を造ったのかまで明らかになる。

 それは前方後円墳が、

 壮大な発想による地上絵として描かれたもので、

 サイズではエジプトの巨大ピラミッドを遥かに超える

 大土木事業によって建設された、

 巨大な『須弥山図曼荼羅』だったのである。

 古墳時代人が曼荼羅を知らなければ

 前方後円墳は生まれなかったのだ。

 下の須弥山図は私(加治木義博)の

 『日本人のルーツ』

 (保育社カラーブックス=1985年)の巻頭にある

 前方後円墳との比較のものだが、

 前方後円墳と須弥山図とが同じものを表現していることは、

 我が国の発掘考古学で「張り出し」と呼んでいる部分までが、

 須弥山図に描かれていることで明らかである。

 さらにそればかりでなく、

 我が国の古墳と、インドで想定された須弥山図の着想が、

 ギリシャの墓制に複数の起源をもつと同時に、

 さらに古代日本人を構成してもいた複数の人種文化が

 加わっていることも明瞭にみてとれる。

 本講座はその性質上、

 それらの許細をご説明する紙面をもたないが、

 その骨子が一見しておわかり載けるように、

 古墳のルーツと形態の関連を、

 図を配列してご先に入れておく。

 これで先にお話しした

 「鏡を副葬した古墳は倭人(仏教徒)のもの」という定義が、

 さらに明確に、鮮明にご理解戴けるはずである。

 「古墳のルーツと形態の関連図」

 「図」ピタゴラス大使の墓

 古代ポントス王国の遺跡で発見された墓の幾何学構想円と

 三角が永達のシンボル前三角・後円の石造墓稗

 「図」須弥山図曼荼羅

 基礎にギリシャ思想と同じものがあったのか

 宇宙と永遠のシンボル下円・上三角の世界図

 「図」サーンチーの大塔

 釈迦のシャリが葬られた初期ストゥーパ(仏塔)

 これは全部円型であるが下方・上円墳もある

 『日本人のルーツ』(保育社カラーブックス=1985年)1頁
 
 古墳は何を象ったか

 代表的古墳である前方後円墳の形は、

 何を意味しているのだろうか。

 死者を弔うという目的と日本人のルーツからみて、

 仏教須弥世界図(インド古写本) を象ったものという

 考え方もあってもいいと思う

 (古墳は時と共にかなり形が崩れている)。

 須弥世界とは仏教の世界観で、

 古代インド人の故郷シュメルと結ぶ説もある。

 このほか円墳・方墳は、

 円形は天を、方形は地を意味する中国の思想、

 などとの結びつきが考えられている。

 『大学講義録17』

 1 崇神と景行は他人と『記・紀』が証言
 《崇神と景行は他人と『記・紀』が証言
 「崇神と景行は他人と『記・紀』が証言

 2 景行天皇が体験した肉親相剋
 《景行天皇が体験した肉親相剋
 「景行天皇が体験した肉親相剋

 3 天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)
 《天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)
 「天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)

 4 『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗
 《『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗
 「『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗

 5 倭人手登場者が並ぶ崇神天皇家
 《倭人手登場者が並ぶ崇神天皇家
 「倭人手登場者が並ぶ崇神天皇家

 6 難升米は第2代・綏靖(スイゼイ)天皇
 《難升米は第2代・綏靖(スイゼイ)天皇
 「難升米は第2代・綏靖(スイゼイ)天皇

 7 都市牛利が逃げた先は都之城
 《都市牛利が逃げた先は都之城
 「都市牛利が逃げた先は都之城

 8 読み取りが必要な、時代による変化
 《読み取りが必要な、時代による変化
 「読み取りが必要な、時代による変化

 9 移動の推移を教える記録の時代別配列
 《移動の推移を教える記録の時代別配列
 「移動の推移を教える記録の時代別配列

 10 「名乗り」は事件と運命を物語る
 《「名乗り」は事件と運命を物語る
 「「名乗り」は事件と運命を物語る

 11 孝元天皇は位宮の兄「国襄(こくしょう)王」
 《孝元天皇は位宮の兄「国襄(こくしょう)王」
 「孝元天皇は位宮の兄「国襄(こくしょう)王」

 12 国牽と「国襄(こくしょう)」はどちらが本当か
 《国牽と「国襄(こくしょう)」はどちらが本当か
 「国牽と「国襄(こくしょう)」はどちらが本当か

 13 稚武彦が位宮でスサノオの尊
 《稚武彦が位宮でスサノオの尊
 「稚武彦が位宮でスサノオの尊

 14 倭の五王は卑弥呼政権の子孫たち
 《倭の五王は卑弥呼政権の子孫たち
 「倭の五王は卑弥呼政権の子孫たち

 15 拡大発展した日向倭国の残した巨大仏教遺跡
 《拡大発展した日向倭国の残した巨大仏教遺跡
 「拡大発展した日向倭国の残した巨大仏教遺跡

 16 倭王・武の上表当時はまだ大阪止まり
 《倭王・武の上表当時はまだ大阪止まり
 「倭王・武の上表当時はまだ大阪止まり

 17 神武東征記事は大化大戦の神話化
 《神武東征記事は大化大戦の神話化
 「神武東征記事は大化大戦の神話化

 18 神武天皇系の皇室を滅ぼす畿内説
 《神武天皇系の皇室を滅ぼす畿内説
 「神武天皇系の皇室を滅ぼす畿内説

 19 戦勝国・新羅が知らない白村江の大勝利
 《戦勝国・新羅が知らない白村江の大勝利
 「戦勝国・新羅が知らない白村江の大勝利

 20 大阪を扶余にすり替えた天武天皇の大勝利
 《大阪を扶余にすり替えた天武天皇の大勝利
 「大阪を扶余にすり替えた天武天皇の大勝利

 21 卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ
 《卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ
 「卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ

 22 副葬品に鏡がある古墳は倭人の墓
 《副葬品に鏡がある古墳は倭人の墓
 「副葬品に鏡がある古墳は倭人の墓

 23 播磨とセットになって移動した摂津
 《播磨とセットになって移動した摂津
 「播磨とセットになって移動した摂津

 24 播磨はなぜ、旁国の巴利国ではないか
 《播磨はなぜ、旁国の巴利国ではないか
 「播磨はなぜ、旁国の巴利国ではないか

 25 平安朝の支配者は邪馬壹国系
 《平安朝の支配者は邪馬壹国系
 「平安朝の支配者は邪馬壹国系

 26 近畿東征者の謎を解く「土師器」
 《近畿東征者の謎を解く「土師器」
 「近畿東征者の謎を解く「土師器」

 27 和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍
 《和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍
 「和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍

 28 和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?
 《和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?
 「和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?

 29 景初三年鏡200年伝世と副葬の謎
 《景初三年鏡200年伝世と副葬の謎
 「景初三年鏡200年伝世と副葬の謎

 30 黄金塚古墳の主は卑弥呼の後継者
 《黄金塚古墳の主は卑弥呼の後継者
 「黄金塚古墳の主は卑弥呼の後継者

 31 ついに不明の「反正天皇陵」発見
 《ついに不明の「反正天皇陵」発見
 「ついに不明の「反正天皇陵」発見

 32 三国史記巻第五
 《三国史記巻第五
 「三国史記巻第五

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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