2012年11月4日日曜日

青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学講義録 06 23頁

 「図」青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの
 《青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの
 「青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの

 『古代史発掘5・大陸文化と青銅器



 (講談社-昭和49年〉127頁のコピー

 「原田大六『邪馬台国論争』1969年311頁第80図により作成」

  左の大円内=「青銅武器」分布圏 

  右の大円内=「銅鐸」分布圏

 『青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの』

 「原田大六『邪馬台国論争』

 1969年311ページ第80図により作成」という説明がある。

 一見してわかるように「伊都国中心の青銅武器圏」と、

 「大阪中心の銅鐸圏」とに分かれている。

 『魏書倭人章』の対馬から伊都国までが

 「倭人圏」であることはいうまでもないし、

 「東に海を千余里渡った国も皆倭種」という記事と

 四国の「青銅武器圏」も完全に一致しているから、

 その東の近畿が、

 それと対立する「銅鐸圏」だったこも説明はいらない。

 青銅武器は本来は武器ではあったが墓に副葬されているので

 「死者を守る」という

 信仰具に変化していたことがわかるし、

 現在も鍾の仲間が多くの宗教儀式に使われる重要な

 「日常祭具」であることで、

 銅鐸もまた信仰上の器具であったことは疑いない。

 だが『魏書倭人章』は全く銅鐸を知らない。

 銅鐸は毎日の礼拝に欠かせぬ日常祭具であり、

 また儀式の荘厳と文化の誇示用の宝器でもあるから、

 帯方郡使のような重要な使節の来朝に際しては、

 殊更に見せびらかす性質のものである。

 しかもその帯方郡使は野草の種類から人々の仕草や習慣まで

 詳細に観察して記録しているのに、

 銅鐸の記事は一字もない。

 宗教は常に他の宗教を敵視する。

 それは古代ほど激しく互いに相争った。

 「倭人圏」は絶対に「銅鐸人圏」ではない。

 この一事だけでも近畿圏が

 卑弥呼らの倭人圏ではなかったことが明らかにわかる。

 「畿内説」の誤りを完全に証明しているのである。

 『大学講義録06』

 1 応神天皇の名替
 《応神天皇の名替
 「応神天皇の名替

 2 伊奢沙和気大神
 《伊奢沙和気大神
 「伊奢沙和気大神

 3 「入彦」は「爾支」
 《「入彦」は「爾支」
 「「入彦」は「爾支」

 4 「アヅマ」はなぜ東か?
 《「アヅマ」はなぜ東か?
 「「アヅマ」はなぜ東か?

 5 倭国=アヅマ=大神=内
 《倭国=アヅマ=大神=内
 「倭国=アヅマ=大神=内

 6 「日向」以外にない「日高見」
 《「日向」以外にない「日高見」
 「「日向」以外にない「日高見」

 7 「ヒガシ」の語源は「日向」
 《「ヒガシ」の語源は「日向」
 「「ヒガシ」の語源は「日向」

 8 応神天皇は3世紀に越前まで行ったか?
 《応神天皇は3世紀に越前まで行ったか?
 「応神天皇は3世紀に越前まで行ったか?

 9 謎は深まる「父と子の名替え?」
 《謎は深まる「父と子の名替え?」
 「謎は深まる「父と子の名替え?」

 10 「垂仁天皇殺し」=「熊襲征伐」
 《「垂仁天皇殺し」=「熊襲征伐」
 「「垂仁天皇殺し」=「熊襲征伐」

 11 「垂仁=熊襲」の考証の仕方
 《「垂仁=熊襲」の考証の仕方
 「「垂仁=熊襲」の考証の仕方

 12 応神天皇の殺された倭建命
 《応神天皇の殺された倭建命
 「応神天皇の殺された倭建命

 13 「名替え」=邪馬壹国政権の復活
 《「名替え」=邪馬壹国政権の復活
 「「名替え」=邪馬壹国政権の復活

 14 「名乗http://search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=%E3%80%8C%E5%90%8D%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%81%8C%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E5%80%AD%E5%BB%BA%E5%91%BD%E3%81%AE%E4%BE%8B&meta=vc%3Dり」が謎を解く倭建命の例
 《「名乗り」が謎を解く倭建命の例
 「「名乗り」が謎を解く倭建命の例

 15 「タギシ」が解くもう一つの謎
 《「タギシ」が解くもう一つの謎
 「「タギシ」が解くもう一つの謎

 16 武内宿弥の異常な長寿の理由
 《武内宿弥の異常な長寿の理由
 「武内宿弥の異常な長寿の理由

 17 鹿児島応神朝の完全証明
 《鹿児島応神朝の完全証明
 「鹿児島応神朝の完全証明

 18 「明の宮」と鹿児島の由来
 《「明の宮」と鹿児島の由来
 「「明の宮」と鹿児島の由来

 19 アカイヤだった「明の宮」
 《アカイヤだった「明の宮」
 「アカイヤだった「明の宮」

 20 目標を達成した本講第1講
 《目標を達成した本講第1講
 「目標を達成した本講第1講

 21 ケタ違いの威力「言語復原史学」
 《ケタ違いの威力「言語復原史学」
 「ケタ違いの威力「言語復原史学」

 22 どんなに考古学に生命を与えたか
 《どんなに考古学に生命を与えたか
 「どんなに考古学に生命を与えたか

 23 青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの
 《青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの
 「青銅武器圏と銅鐸圏が立証するもの

 24 弥生時代を支配した金属文化
 《弥生時代を支配した金属文化
 「弥生時代を支配した金属文化

 25 出土柱跡はどれに合うか?
 《出土柱跡はどれに合うか?
 「出土柱跡はどれに合うか?

 26 図録・桜観屋室の内容
 《図録・桜観屋室の内容
 「図録・桜観屋室の内容

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 『言語復原史学会:画像』

 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿