2012年11月16日金曜日
仏教宜布団がもってきた弥生時代の米
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学講義録 21 13頁
「図」仏教宜布団がもってきた弥生時代の米
《仏教宜布団がもってきた弥生時代の米》
「仏教宜布団がもってきた弥生時代の米」
ソナカが来たのは卑弥呼の少女時代で2世紀後半だが、
それ以前に九州に水稲と弥生土器をもって来た
熱帯アジアからの大渡来人集団がある。
在来は
弥生稲作は中国から朝鮮半島経由で来たという説が有力だったが、
弥生の水稲は寒さに弱い熱帯 japonica 稲 の一種である。
その熱帯aponica 稲 は
今、原産地で選別されて、
下図のような立派なものになっている。
「図」
1 インデイカ
2 タイ山地米
3 ヤポニカ(江州米)
「水稲といっしょに来た弥生人」
弥生文化が水稲といっしょにやって来たことは、
だれでも知っている。
いまタイ国からビルマヘかけての山地民族を調査してみると、
そこでは細長いタイ米(上・インディカ種)ではなく、
日本米(下・丸いヤポニカ種)よりさらに見事な、
丸々とした大粒の米(中)が作られている。
日本の初期水稲遺跡は自然の湿地帯を求めて開かれている。
マレー語で水田をサワというが、
まさに沢(さわ)こそ初期の水田だったのである。
タイの山地民族はこの沢を利用して水田を作る。
密林は火をかけて焼き払う。
日本も当時は森林に覆われていたから、
石斧で開くことは不可能だ。
やはり焼くことから始まったと考えるほかない。
『熱帯ヤポニカ稲のDNAが明示する仏教東伝コース』
ソナカ宣布団は「東方十二道」の内のどのコースを通って、
我が国までやってきたのか?。
2000年7月25日朝7時のNHK総合ニュースは、
静岡大学農学部の佐藤洋一郎教授が
「登呂遺跡で見つかった稲のDNAを、精密に比較検討した、
それは熱帯ジャポニカ種のものに一致した」
と発表したとアナウンスした。
登呂遺跡は弥生後期とされる水田をもった集落遺跡で、
静岡市高松にあるから卑弥呼政権とは直接の関係はないが、
我が国にも陸稲(おかぼ)は縄文時代からあったが、
水稲は熱帯アジア原産で、
その渡来を目盛りにした時代区画が弥生時代である。
前述のように、
縄文晩期に中国から朝鮮経由でわが国に渡来したとされてきた。
しかし赤米など弥生稲を東南アジア各地の水稲と比較調査した
私(加治木義博)は、
九州の弥生稲は
中国の長安や朝鮮半島北部では栽培不能な熱帯種で、
在来説は再考の余地があると警告し続け、
約30年近く前の1983年3月に発刊した私(加治木義博)著、
カラーブックス『日本人のル-ツ』(保育社刊)
にも弥生稲の子孫が原産地で今もなお栄えている実態を、
前ページの写真で広く示して再考をうながした。
なお予断のようだが、
生物の学名には国際命名規約があって、
ラテン語化して読む規則があり、
japonica は「ヤポニカ」と発音しなければいけない。
ジャポニカと発音するのは
良識ある学者ではない証拠とされることを、
心得ておいて戴きたい。
『大学講義録18』
1 「反正女王・天皇陵」を定点にして
《「反正女王・天皇陵」を定点にして》
「「反正女王・天皇陵」を定点にして」
2 箸墓古墳は「雄略女王陵」か、「雄略天皇陵」か
《箸墓古墳は「雄略女王陵」か、「雄略天皇陵」か》
「箸墓古墳は「雄略女王陵」か、「雄略天皇陵」か」
3 反正・雄略2天皇の皇居と陵墓地
《反正・雄略2天皇の皇居と陵墓地》
「反正・雄略2天皇の皇居と陵墓地」
4 女王と天皇は別居婚だった
《女王と天皇は別居婚だった》
「女王と天皇は別居婚だった」
5 倭国独特の女王と天皇の関係
《倭国独特の女王と天皇の関係》
「倭国独特の女王と天皇の関係」
6 歴代天皇の奇妙な夫婦関係の謎解き
《歴代天皇の奇妙な夫婦関係の謎解き》
「歴代天皇の奇妙な夫婦関係の謎解き」
7 「大阪」が証明する仏教国と敗戦
《「大阪」が証明する仏教国と敗戦》
「「大阪」が証明する仏教国と敗戦」
8 箸墓の被葬者はソナカの子孫・草香幡梭姫皇后
《箸墓の被葬者はソナカの子孫・草香幡梭姫皇后》
「箸墓の被葬者はソナカの子孫・草香幡梭姫皇后」
9 奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都
《奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都》
「奈良は3世紀の間つづいた仏教の国都」
10 卑弥呼仏教の実体を記録しているもの
《卑弥呼仏教の実体を記録しているもの》
「卑弥呼仏教の実体を記録しているもの」
11 『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト A
《『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト A》
「『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト A」
12 『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト B
《『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト B》
「『魏書倭人章』登場者名 語源調査リスト B」
13 疑問の余地ないパーリ語官名の集団
《疑問の余地ないパーリ語官名の集団》
「疑問の余地ないパーリ語官名の集団」
14 比古・彦=比丘(びく)、鬼道=仏教の動かぬ証拠
《比古・彦=比丘(びく)、鬼道=仏教の動かぬ証拠》
「比古・彦=比丘(びく)、鬼道=仏教の動かぬ証拠」
15 パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意
《パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意》
「パーリ語で初めてわかる倭人国名の真意」
16 狗右制卑狗は仏教徒がつけた渾名
《狗右制卑狗は仏教徒がつけた渾名》
「狗右制卑狗は仏教徒がつけた渾名」
17 崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?
《崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?》
「崇神天皇夫妻は壹與政権に残ったか?」
18 お宮(神社)の語源は「死」
《お宮(神社)の語源は「死」》
「お宮(神社)の語源は「死」」
19 「武甕槌(タケミカヅチ)」と「南無参」の語源
《「武甕槌(タケミカヅチ)」と「南無参」の語源》
「「武甕槌(タケミカヅチ)」と「南無参」の語源」
20 15世紀まで生きていた国名「都市牛利」
《15世紀まで生きていた国名「都市牛利」》
「15世紀まで生きていた国名「都市牛利」」
21 少ない記録を補う語源の知識
《少ない記録を補う語源の知識》
「少ない記録を補う語源の知識」
22 「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓
《「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓》
「「一・壹・市=イチ」は漢音でなく和訓」
23 称号「天照大神」はこうして生まれた
《称号「天照大神」はこうして生まれた》
「称号「天照大神」はこうして生まれた」
24 真に「不戦の誓い」を補うもの
《真に「不戦の誓い」を補うもの》
「真に「不戦の誓い」を補うもの」
25 称号「天照大神」完成までの歴史
《称号「天照大神」完成までの歴史》
「称号「天照大神」完成までの歴史」
26 おおぜい居たか「天照大神」?
《おおぜい居たか「天照大神」?》
「おおぜい居たか「天照大神」?」
27 『記・紀』ともに祖神はインドの神名
《『記・紀』ともに祖神はインドの神名》
「『記・紀』ともに祖神はインドの神名」
28 証拠が溢れる「鬼道=仏教」
《証拠が溢れる「鬼道=仏教」》
「証拠が溢れる「鬼道=仏教」」
29 南九州語の特徴はパーリ語
《南九州語の特徴はパーリ語》
「南九州語の特徴はパーリ語」
30 印欧文明より遥かに近い日印古代文明
《印欧文明より遥かに近い日印古代文明》
「印欧文明より遥かに近い日印古代文明」
31 高族=カリエン人のやって来たコース
《高族=カリエン人のやって来たコース》
「高族=カリエン人のやって来たコース」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
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《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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