2012年11月14日水曜日

十二天曼荼羅



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学講義録 20 7頁



 「図」十二天曼荼羅
 《十二天曼荼羅
 「十二天曼荼羅

 『曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」』

 中国では帝釈天やガルーダ(カローラ・金翅鳥)などは

 『大方広(ほうこう)仏華厳(けごん)経』=

 略称は華厳経または雑華(ざうげ)経の訳にあるが、

 それは5世紀の仏陀跋陀羅(ブッダバラダ)訳が最初で、

 それ以前には知られていない。

 右の図の『十二天曼荼羅』は、

 その『華厳経』の中に書かれている

 天部の神名の梵字(ボンじ)の頭文字だけ使って、

 その方位への配置を略図化したものである。

 天部が初めて中国に伝わったのは

 北涼の玄始年間だから5世紀で、

 卑弥呼時代の国名にみる帝釈天は、

 中国経由で入ってきたものではない。

 さらに深く調べるとより重要な貴重なものが、

 『密教』の「曼荼羅」の中に見つかる。

 曼荼羅は弘法大師空海が中国で教わって

 我が国に伝えた平安時代以後のものだが、

 現存する『十二天曼荼羅』は、

 右の図のように実に不思議なことになっている。

 卑弥呼当時の国名と全く同じに、

 帝釈天と多聞天だけがあるのだ。

  上・梵天  :ボラ

  下・地天  :ヒリ

    日天  :ア

    月天  :シャ

 東 ・帝釈天 :イー

 東南・火天  :ア

 南 ・焔摩天 :エン

 西南・羅刹天 :ニリ

 西 ・水天  :パ

 西北・風天  :パー

 北 ・多聞天:ペイ

 東北・伊舎那天:イ

 「十二天曼荼羅」

 不動曼荼羅の場合は、

 五大明王が中央部へ置かれ、

 十二天はそのまま外部の方向へと開き、広がります。

 『南九州西半部に一致する不思議な十二天曼荼羅』

 そして東北に伊舎那(イサナ)天が配置されている。

 天を王(キ)に置き換えるとイサナキの尊だ。

 多聞天は北だから球磨郡の鬼国に合わせると、

 その南の伊舎那天は伊佐郡に合い、
 
 西の水天は出水郡に合い、

 南の焔摩(ヤマ)天は邪馬国(屋久島)に合う。

 これらは全て南九州の西半、薩摩半島側だけだから、

 その東部は鹿児島市で、

 そこに東の帝釈天(チヂワ)の略「千石」町があって、

 これも一致しているし、

 さらにその東北東に帖佐(ツサ、現在の姶良町)があって、

 これも帝=teiug ティウ=ツ、釈=Shiak シャツ=サと、

 南九州語の法則通りに短縮された発音に一致している。

 そして東南に位置する火天も、

 その位置には火山の桜島がある。

 これは地域をさらに拡大すれば、

 薩摩半島から見える東南(辰巳)の島、

 種子島も火々出見の尊などの火の名をもつ3兄弟が生まれた島で、

 火=ホに対して穂・百の当て字も見られる。

 西南の羅刹(ラセツ)天はラ音を発音しない

 南九州語では「セッデン」と

 発音するから加世田の世田が同じ発音をもっていて、

 朝鮮語のカセダは恐るべき勇猛を意味するから、

 羅刹の特徴にもピタリと合う。

 西北の風天は川辺(なベ)町の古殿がフーデンでフーテンに合うが、

 ずっと北西にも熊本県の天草町に福連木があって

 フーデン王(ギ)の名残に見える。

 この地名を北への移動の跡だとすれば、

 南の沖縄にも、

 この風天=フーテン国(マ)の名によく合う

 普天間(ふてんま)がある。

 『仏教公伝は応神以後という迷信は覆った』

 曼荼羅というのは観世音菩薩や薬師如来などを信仰して、

 病気を治し、健康を祈り、災厄を避け、子供を授かり、

 一家が繁栄し、死後の安楽を願うために、難解な仏教哲学でなく、

 眼で見て誰にでも理解できるように、宇宙の構造を図解し、

 それが仏や菩薩によって構成され、

 支配され、守護されているのだと教える、

 一種の「絵解き」教材である。

 我が国では、それは真言密教だけの表現法であって、

 密教が伝わった9世紀より前には、

 図や像としては存在するはずがないとされてきたものである。

 しかしそれはご覧の通り、

 この十二天曼荼羅と卑弥呼政権の国名配置や、

 伊声耆の名乗りその他と完全に符合する事実を考慮すると

 根本的に検討し直す必要がある。

 なぜなら過去の常識は、

 我が国への仏教公伝は、

 百済王・阿直支(アチキ)と王仁による

 応神天皇時代、

 または百済聖王による538年だと信じて疑った者がなく、

 神話の天照大神が仏教徒であったなどとは、

 考えもしなかったからである。

 だが今、私たちは、

 その天照大神の父・イサナキの尊の名乗りと同じものが、

 現実に仏教の曼荼羅に伊舎那天として実在し、

 現実に伊声耆として卑弥呼政権を支え、

 魏の都・洛陽へ使節として行って、

 率善中郎将の官位と印綬を受けた史実を確認している。

 この曼荼羅そのものの伝来ではないが、

 真の仏教公伝は卑弥呼以前だということはもう疑いの余地はない。

 『大学講義録16』


 1 卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの
 《卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの
 「卑弥呼と百襲姫の一致が次に生むもの

 2 画期的な大発見も可能に!!
 《画期的な大発見も可能に!!
 「画期的な大発見も可能に!!

 3 孝霊天皇は卑弥呼の父イザナキの尊1世
 《孝霊天皇は卑弥呼の父イザナキの尊1世
 「孝霊天皇は卑弥呼の父イザナキの尊1世

 4 伊声耆は卑弥呼の弟でイサナギの尊2世
 《伊声耆は卑弥呼の弟でイサナギの尊2世
 「伊声耆は卑弥呼の弟でイサナギの尊2世

 5 伊声耆の領地だづた旁国の空白域もの
 《伊声耆の領地だづた旁国の空白域もの
 「伊声耆の領地だづた旁国の空白域もの

 6 泄謨觚柄渠觚は伊声耆の弟か?
 《泄謨觚柄渠觚は伊声耆の弟か?
 「泄謨觚柄渠觚は伊声耆の弟か?

 7 泄謨觚柄渠觚は「邪馬津公 宮之城公」
 《泄謨觚柄渠觚は「邪馬津公 宮之城公」
 「泄謨觚柄渠觚は「邪馬津公 宮之城公」
 
 8 爾支を入彦に変えた天武天皇
 《爾支を入彦に変えた天武天皇
 「爾支を入彦に変えた天武天皇

 9 新羅で後世まで使われた爾支とその正体
 《新羅で後世まで使われた爾支とその正体
 「新羅で後世まで使われた爾支とその正体

 10 「名乗り」を知らずに国史は語れない
 《「名乗り」を知らずに国史は語れない
 「「名乗り」を知らずに国史は語れない

 11 「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠
 《「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠
 「「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠

 12 五十は領地「イドン」への当て字
 《五十は領地「イドン」への当て字
 「五十は領地「イドン」への当て字

 13 海神族だから巴利都もハイト
 《海神族だから巴利都もハイト
 「海神族だから巴利都もハイト

 14 アレクサンドロス大王と同じ称号のソナカ
 《アレクサンドロス大王と同じ称号のソナカ
 「アレクサンドロス大王と同じ称号のソナカ


 15 ソナカが起こした第1次倭国大乱
 《ソナカが起こした第1次倭国大乱
 「ソナカが起こした第1次倭国大乱

 16 ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤
 《ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤
 「ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤


 17 伊声耆が体験した政変と運命
 《伊声耆が体験した政変と運命
 「伊声耆が体験した政変と運命

 18 出雲に残る、本講座の正しさの証拠群
 《出雲に残る、本講座の正しさの証拠群
 「出雲に残る、本講座の正しさの証拠群

 19 なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?
 《なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?
 「なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?

 20 史実を消した天武『日本書紀』による被害
 《史実を消した天武『日本書紀』による被害
 「史実を消した天武『日本書紀』による被害

 21 伊佐の東に実在した吉備の遺跡
 《伊佐の東に実在した吉備の遺跡
 「伊佐の東に実在した吉備の遺跡

 22 吉備津の名をもつ市と高原が現存
 《吉備津の名をもつ市と高原が現存
 「吉備津の名をもつ市と高原が現存

 23 吉備津彦の領地は旧・飯野まで
 《吉備津彦の領地は旧・飯野まで
 「吉備津彦の領地は旧・飯野まで

 24 古事記の吉備津彦「えびの支配の記録」
 《古事記の吉備津彦「えびの支配の記録」
 「古事記の吉備津彦「えびの支配の記録」

 25 実在して今も残る「氷河之前」
 《実在して今も残る「氷河之前」
 「実在して今も残る「氷河之前」

 26 敗北した倭国政権の亡命先
 《敗北した倭国政権の亡命先
 「敗北した倭国政権の亡命先

 27 吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)
 《吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)
 「吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)

 28 魏人は卑弥呼の冢を見た
 《魏人は卑弥呼の冢を見た
 「魏人は卑弥呼の冢を見た

 29 「径百余歩」のもつ内容
 《「径百余歩」のもつ内容
 「「径百余歩」のもつ内容

 30 陸行一月は卑弥呼らの知性の産物
 《陸行一月は卑弥呼らの知性の産物
 「陸行一月は卑弥呼らの知性の産物

 31 これまでのシステムの総括
 《これまでのシステムの総括
 「これまでのシステムの総括

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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