2010年5月2日日曜日

動かぬ証拠の見つけかた(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    234~239頁
 では、もうこれ以上確かめる方法はないのであろうか? ある。

 先ず第一は登場者たちのうち、

 相手の王が様々に語られている点を比較してみることである。
 
 インドネシアの話では、

 「アジサカ王子がアラビアンナイトのシェヘラザード姫のように、

  お話で王を楽しませながら、

  娘を食べることを止めさせ、

  さらに隣国との戦いに勝ったので、

  王は領地を与えようという。

  アジサカはターバンで計れるだけの土地を乞う。

  王は笑って欲が少い、

  と許すが、

  ターバンはどんどん長く伸びて王の領地は無くなってしまう。

  王は約束どおり国を譲り、

  海へ飛びこんで白ワニになり、

  海の王になった」という。

 これと八岐の大蛇と松譲王とを比較してみると

 松譲王が一番現実的に描かれて歴史的であるのに対し、

 八岐の大蛇は人間ともとれるが、

 蛇ともとれるような説話化が見られ、

 白ワニの王は、海へとびこんでワニに変身したという事で、

 はっきり童話化が見られる。

 これは最後のものが後世型を示している。


 それはそのまま名前の上でもいえる。

 今いったのと同じ順序で、

 後の二つは人間ばなれして行くのである。

 その名前はさらに決め手となる要素をもっている。

 白ワニが新羅と倭人を意味することは、おわかりだと思うが、

 これはインドネシアでなく、

 九州に存在した二つの国名である以上、

 経路は九州出発ということになる。

 そして決定的要素もまた、この名前なのである。

 それは王の名が、実在か、

 どうかを確かめることによって、

 その発生地を証明できるからである。

 「絵」紀元前1500年、
 
   エジプト第18王朝のハトシェプスト女王当時の船

   (テパイの西崖デル・エル・パフリ神殿の壁画より

    スケッチ、復原)(加治木原図)」

 松譲王という名は、さきに和訓(よみ)でマツユズリ王と読んで、

 アイヌ語にまでつながる

 幾つもの証言を得ることができた。

 では今度は音でよむとどうなるであろうか。

 松は<ショウ>、譲は<ジョウ>が私たちのよみ方である。

 <ショウジョウ>はさきに<スサノオ>と近似していた

 倭の面土国王「帥升」<スイショウ>によく似ている。

 同一地域でほぼ同時代と考えられる二人の国王名が、

 これくらい似ていれば同一人でないかを調べなければならない。

 しかし升(ショウ)と譲(ジョウ()はピッタリでも、

 松(ショウ)と帥(スイ)ではかなり遠い。

 この二つが同じ音になるためにほ、

 中間に媒体になる別のことばがあるはずである。

 この場合、それは当然、

 当時以後朝鮮半島に住んでいた人々のことばでなければならない。

 朝鮮語では松を何というのであろう。

 辞書を引いて見ると<ソナム>である。

 このままでは、どちらとも大変ちがうが、

 それは当りまえであって、

 ソナムとは次のようになったことばなのである。

 ソ ナ ム =  ソ  ナ  ム
 松 の 木 = ショウ 奴 モク

 ソとムは漢音の短縮された音で、日本語ではないが、

 鹿児島方言の短縮状態と

 とてもよく似ており、

 真ん中の助詞<ナ>は完全に琉球─鹿児島古語である。

 それはともかく<松>が<ソ>であることは、

 朝鮮の人から見れば、

 <ソ>の国を譲った王ということになり、

 鹿児島地方にあった襲(ソ)の前王として

 ピッタリ一致する名だといえる。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書


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