出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
152頁
「図:応神陵の構成要素と各陵墓の関連性」(加治木原図)
① <1>安閑皇后陵 <2>正北 <3>安閑皇后陵
<4>古室山古墳 <5>安閑天皇陵
<6>仲津姫皇后陵 <7>敏達天皇陵を経て藤原武智磨墓
② <9>日本武尊陵 <10>允恭天皇陵 <11>聖徳太子墓
<12>城山古墳 <13>日本武尊陵
<14>千塚 <15>推古天皇陵 <16>城山古墳
<17>応神天皇陪塚を経て清寧天皇陵
③ <18>古室山古墳 <19>孝徳天皇陵 <20>城山古墳
<21>応神天皇陪塚 <22>吉備内親王墓
<23>松塚 <24>河内大塚 <25>黒姫塚 <26>孝霊天皇陵
<27>大津皇子墓 <28>雄略天皇陵 <29>野中寺伽藍跡
<30>文珠院西古墳 <31>河内大塚
<32>仁徳陵円頂部中心 <33>東首舌鳥古墳
<34>島の山古墳 <35>顕宗天皇陵
<36>河内大塚 <37>大座間池中之島を経て野尻古墳跡
④ <38>孝霊天皇陵 <39>牧野古墳 <40>仲哀天皇陵
<41>大座間池を経て平岡古墳
⑤ <42>孝霊天皇陵 <43>来目皇子墓 <44>吉備内親王墓
(実際はこの二倍以上の線が関連しているが、
本章の証明にはこれで充分であり、
繁雑で専門的に過ぎるので省略した)
「写真:直線上の古墳」(加治木原図)
空から見ると古墳が直線上にならぶことが
一と目でわかるものもある。
相互の距離と大きさが
写其のピントの合う範囲にあるものは少ないが。
(これは山の辺陵墓群のうちの手前かち景行陵。
崇神陵。手白香墓(衾田陵=継体皇后墓)。
乙木社の森。)前々図の7、S、6参照。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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