出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
244~247頁
「天孫族の故郷(ふるさと)」を見つけようと努力している人が、
一つの証拠を見つけて
有頂天になり、
「遂に天孫族の発祥地を見つけた!」と発表しながら、
常に反証が現れて失敗に終ったのは、
その証拠が天孫族の出発点でなく、
同じ祖先から出た人々の分布地の一つを
見つけたに過ぎないのに、
謎は全部とけたと
思いこんだのが原因だった。
だから、次々に他の分布が見つかるたびに、
それらの主張は一遍に音を立てて
崩れおちてしまったのである。
その欠点は、手がかりを生のままで、
証拠と早合点したことにある。
だから本当の源まで遡って動かない証拠を突きとめる仕事が、
ストップしてしまったのである。
それをもっと解りやすく図で説明してみよう。
次の図は人間と猿の仲間の系統図である。
その沢山の枝分かれの、どこをとっても、確かに、
それは「手がかり」なのである。
しかし、そのすべてが人間の祖先であるとはいえない。
その位置のとり方がちがえば、
全く別の「手がかり」が「発見」されて、
前の説は地に落ちてしまう。
こんなやり方ではドソグリの背比べにすぎない。
その誤りの原因は、まず歴史というものに
一番大切な「時間」を忘れている、
という致命的欠陥が、その人にあることである。
タイムマシソ小説なら、いざしらず、
義経と秀吉と西郷が一緒に出て来ては、
いくら歴史
「小説」であっても、誰一人信用して読むものはない。
ところが、天孫族や邪馬台論争では、すべての人が、
それを平気でやっていたのである。
現代の世界と古代の世界とを混同して、国は固定したものと、
無意識に決めてかかっているのである。
だから邪馬台国は大和だ、九州だ、
さらには日本人の故郷は何処そこだ、という論争が生れて、
果てしなく続き、
あるいは分布の末端を祖先と混同したのである。
「地図:時と共に分裂した出雲と稲羽(加治木原図)」
本来一つの出雲神話の舞台であり、
同一の語源から生れたイヅモとイナバが、
奈良朝には既に遠く離れた2国に分れていた。
①斐伊川<イズモ>(島根県)
②日野川<ホウキ>(鳥取県)
③気多の前<イナバ>(鳥取県)
④鳥取市<イナバ>(鳥取県)
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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