2010年5月13日木曜日

発掘考古学の限界(3)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    21~22頁


 しかし、だから発掘考古学が古代史の決め手である、

 と思うのは浅薄にすぎる。

 なぜなら、これらの謎ときに役立った成功例のすべてが、

 掘り出された「文献」であったからである。

 またそれらは発見されただけでは役に立たなかった。

 それが役立つようになったのは、

 その文献の文字を「解読」した人々がいたからである。

 これは『魏書倭人章』の場合と同じである。

 倭人章は千数百年前から発見されたままになっている。

 しかし「解読」できないから、いまだに謎のままなのである。

 「写真:天慧甗(西周代)その器内の銘文」(筆者所蔵)

 中国の西周時代(B.C.11世紀頃~B.C.771年)の銅器で、

 内壁には写真の14字が彫られている。

 字型は当時の都市国家であった「徐」の特徴を示し

 「天慧作 共萬年鼎尊彜 子々孫々永宝用」

 と読むことができる。

 器高62cm、器幅40cm 

 ※出典:加治木義博・言語復原史学会

 「コスモ出版社『邪馬臺国の言葉』:21」  

 たとえ発掘したものが文献であっても、

 それを「発見」しただけで歴史が明らかになるのではない。

 それが正しく「解読」されて始めて役立つのである。

 だからこそ、

 どんな考古学者にもヒケをとらない

 「大発見」をした一兵士の名は忘れられ、

 解読に成功したシャムポリオンは

 不滅の栄誉に輝いているのである。

 「拓本:西周銅器の文辞」(葉公超により加治木原図)

 西周の宜王元年(B.C.827)に造られたとみられる

 毛公鼎の器壁に彫られた
 
 文章の後半を拓本にとったものを、

 さらに整理したものである。

 末尾の8字が「作尊鼎子々孫々永宝用」であって、

 前の写真のものと類似の慣用句であることがわかる。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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