出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
21~22頁
しかし、だから発掘考古学が古代史の決め手である、
と思うのは浅薄にすぎる。
なぜなら、これらの謎ときに役立った成功例のすべてが、
掘り出された「文献」であったからである。
またそれらは発見されただけでは役に立たなかった。
それが役立つようになったのは、
その文献の文字を「解読」した人々がいたからである。
これは『魏書倭人章』の場合と同じである。
倭人章は千数百年前から発見されたままになっている。
しかし「解読」できないから、いまだに謎のままなのである。
「写真:天慧甗(西周代)その器内の銘文」(筆者所蔵)
中国の西周時代(B.C.11世紀頃~B.C.771年)の銅器で、
内壁には写真の14字が彫られている。
字型は当時の都市国家であった「徐」の特徴を示し
「天慧作 共萬年鼎尊彜 子々孫々永宝用」
と読むことができる。
器高62cm、器幅40cm
※出典:加治木義博・言語復原史学会
「コスモ出版社『邪馬臺国の言葉』:21」
たとえ発掘したものが文献であっても、
それを「発見」しただけで歴史が明らかになるのではない。
それが正しく「解読」されて始めて役立つのである。
だからこそ、
どんな考古学者にもヒケをとらない
「大発見」をした一兵士の名は忘れられ、
解読に成功したシャムポリオンは
不滅の栄誉に輝いているのである。
「拓本:西周銅器の文辞」(葉公超により加治木原図)
西周の宜王元年(B.C.827)に造られたとみられる
毛公鼎の器壁に彫られた
文章の後半を拓本にとったものを、
さらに整理したものである。
末尾の8字が「作尊鼎子々孫々永宝用」であって、
前の写真のものと類似の慣用句であることがわかる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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