出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
150~151頁
「図:古墳造営は壮大な設計と測量に基づいでいる」
(実際には数百の線が交叉しているが省略)加治木原図
① <N>仁徳天皇陵→<O>応神天皇陵→<S>崇神天皇陵。
この3陵を結ぶ線は東進して伊勢神宮に達している。
② 奈良(大仏殿)天理→崇神天皇陵→景行天皇陵→桜井→
良助法親王墓を結ぶ線は
南進して熊野大社(新宮)に達している。
③ <J>神武天皇陵 <K>欽明天皇陵 <1>神功皇后陵
<2>成務天皇陵 <3>磐之姫命陵
<4>元正天皇陵 <5>島の山古墳 <6>衾田陵
<7>景行天皇陵 <8>箸墓 <9>崇峻天皇陵
<10>良助法親王墓 <11>石舞台古墳 <12>橿原神官
<13>宜化天皇陵 <14>斉明天皇陵
<15>孝安天皇陵 <16>孝昭天皇陵 <17>大津皇子墓
<18>飯豊天皇陵 <19>孝霊天皇陵
<20>聖徳太子墓 <21>推古天皇陵 <22>敏達天皇陵
<23>雄略天皇陵 <24>帝塚山古墳 <25>履仲天皇陵
枚岡神社 玉租神社 法隆寺
石上神官 大神神社 談山神社
三輪山 鳥見山 香具山
国見山
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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