出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
234~239頁
だが本題の方は<スイ>と<ソ>と<ショウ>では、
まだ不充分である。
これは私たちが使っている音は本来の漢音でなく、
主として六朝音(リクチョウオン)、
従として呉(ゴ)音であるためで、
本来の漢音で書かれていたはずの後漢書の発音とは
違っているためと考えられる。
そこで漢文の帥升と朝鮮文献の松譲とを共に漢音
(今の北京音に近い)で読んでみると、
帥升王はスイサヌオウ。
松譲王はスンジャヌ王。スサノオの当て字としては
どちらも遠くない。
むしろ私たちのスサノオが当て字としてどうかを
見てみる必要がある。
『日本書紀』では素戔鳴(スサヌオ)命となっている。
この三つの名が、
ピッタリの物語りの主人公の名だということは、
本来一つの名が三つに見えるように転訛したものであり、
物語りも同じ一つのものが変型したのだと断言できる。
「地図:日本語に関係をもつ南方諸語の分布(加治木原図)」
西はアフリカ、マダガスカルにまで達している。
チャロモ、沖縄、ファボラン、イロカノ、
イゴロット、タガロク、ビサヤ、サンギール、
ダヤク、ブギ、セラム、マカッサル、マドウラ、
スンダ、ジャワ、アチエー、ガヨー、
ミナンカバウ、セマン、セノイ、
セタン、ラダイ、安南、チャム、
アンダマン、ニコバル、
サカラバ、マダガスカル、アンタンカラ、
アンタイシャカ、アンタンドルイ、ヴェズバラ
ということは、
この三つのうちの帥升王は実際にその足で歩いて、
後漢へ行き、
安帝に会見を申しいれた生きた人物だったのであるから、
九州での出来事がのちに説話化したとしか考えようがない。
逆に、インドネシアの説話から、
生きた帥升が構成されるということは、
人間の肉体の構造上、
不可能だからである。
これでアジサカ伝説は日本から逆輸出されたものであること、
それはかなり古い時代であったという二点が
完全に証明されたのである。
如何であろう。
答えだけを教えるのと、
その答えを出す筋道を教えるのとが、どれくらい違うか、
記憶力がどんなによくても、
こうした答えを出すことができるかどうか、
よくお判り戴けたであろうか?。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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