2010年5月19日水曜日

神武天皇と鬼奴国


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    79~83頁

霧島と山口を結ぶ線上には九州山脈、

九重山、久住山といった山なみが連なっている。

霧島には高千穂峰があり、

天孫降臨の段に「竺紫日向之高千穂之久士布流多気」に

天降った(記)。とある。

この久士布流と九重、久住は<クシフ>が一致する。

またこれまで余り気にも止められていないが、

九州もまた<クシフ>に対する当て字ということができる。

これは霧島の<クシフ>から次第に山脈伝いに

北上していった人々が生み残したものだとみていい。

九州はこれまで九ケ国あるから九州と考えられてきた。

しかし、

九州という地名は永く筑紫が使われていたあとのものである。

また九ケ国は、無理をして九つに分けた跡が歴然としている。

その前に、建日、白日、豊、久士比の名の通り

五分されていたことは御承知の通りである。

ただお気づきかどうかこれらの名に各県名を宛てた時、

宮崎だけがなかった。

そして久士があとに残った。そこで、この二つを対比してみると、

久と宮はともに<キウ>、<ク>という音で一致している。

士と崎は<シ>と<キ>であるから支という字を使えば

<クシ>とも<クキ>とも発音される。

この二つの名は本来同じものだったのである。

では<クシ>または<クキ>とは一対どちらが本来のもので、

何を意味するのであろうか。

それは13世紀後半に書かれた

『塵袋』の中に引用されたために残った

日向国風土記の一節が謎ときをしてくれる。

その巻二の中に、

「昔カサム別という人が韓国へ行って

この粟を取って帰って植えた。

だから槵生(クシフ)村という。

風土記に曰く、俗語で栗のことを<クシ>という。

すれば韓の槵生の村というのは、

韓の粟の村のことか、とある」という内容のものである。

(原文は古文であるから訳してある)。

これでみるとかって槵生という村が実在し、

古くは<クシ>とは栗のことだったことがわかる。

アイヌ語では今も栗の<イガ>を<クシ>といっている。

<イガ>は針状をしており、

私たちの使う櫛という言葉と照合すると、

どちらも針が並んでいて、

もともと近縁のことばだったようにみえる。

また朝鮮語では釣針のことを<ナクシ>という。

<ナ>はサカナの<ナ>で、<サカナ>は酒(サカ)の魚(ナ)のことで、

魚だけの場合は<ナ>だったことは、どんな古語辞典にも出ている。

だからこの朝鮮語は日本の古語とアイヌ語との混血の観がある。

これらを総合してみると結論は、<クシ>とは針状のもののことで、

私たちが今使う串とほとんど同じものだったことが

わかるのである。

<クシフ>は栗の生えた所を意味することが、

これで充分にわかった。

では<クシフル>になっているのはなぜか。

これは紀の一書に槵触峯という用字があるのですぐとける。

<フ>に対する当て字に、

頭音使用のつもりで触の字を使ったものが、

<フル>と全音「フル(英語)」に

読まれてしまったということなのである。

ではなぜ栗が生えているということが、

特筆大書されて次々に地名として

いまだに残っているのであろうか。

20世紀に入っても多くの国々で餓死者が続出しているのである。

古代の人々にとって、

粟や椎の実などは重要な食糧であり天の恵みであった。

ことに農耕を知らない山地民にとっては、

それは命の程(かて)であった。

それらを求めて山を歩きまわった人々は

豊かな産地を発見して驚喜し、心をやすめたに違いない。

<クシフ>が地名として重要な位置をしめたのは

当然のことといえる。

ではその山地民とはどういった人々であったか。

それは<イガ>を今も<クシ>という人々、

アイヌの人々に近い人たちであるとして大きな間違いはない。

何故ならアイヌの人たちは熊狩りの習慣が示すように

狩猟者であり、農耕民ではなかったことと、

毛人という名が上代には<エミシ>と発音されて

蝦夷と同語であったことなど、多くの証拠を残している。

その人々がどうなったかという運命については、

本書以外でお話しするほかないが、

私たちが串という言葉をもち、

朝鮮の人たちが<ナクシ>という名詞を伝えているのは、

同じように毛人の血もまた混り合って、

今ではただ国境や生活環境が新らしい区別を

生み出しているに過ぎないことを

物語っているとすべきであろう。

この<クリ>は鹿児島方言では<クイ>と聞こえる発音になる。

この方言は<ラ>桁が母音だけになる特徴をもっている。

これは日本の古代史を手がける方には

重要な手がかりになるものであるから、

憶えておいて戴きたい。

古い言葉の食らう。

食ろうが、食おうに変ったのもこの方言の影響なのである。

だから、いま姶良郡の北部にある栗野町はクイノ町と発音される。

鬼という字は日本式漢音では<キ>であるが、

北京音では<クイ>で、

倭人伝の鬼奴国は北京音で読めば栗野に一致する。

また<キ>は沖縄弁では毛であり<キリシマ>の<キ>と一致した。

だから霧島の山ふところに抱かれたこの町は、

毛人とは無関係ではあり得ず、

その地名を文字を変えれば毛野になるものであったことになる。

毛野はのちには上毛野、下毛野と関東に大きく拡大して

群馬、栃木の二大国になったが、

その初期はこの山間一帯に過ぎなかった。

しかし、いまも関東には古名を止めた大きな遺物が、

この町との関係を証言し続けている。

鬼怒(キヌ)川という名は、沖縄発音と、

鬼奴国という陳寿の当て字との双方を巧まずして

今に伝える貴とい文化財なのである。

それはまた、

神武天皇の幼名「稚三毛野命」や、

「狭野命」とも結びつく、

稚は別と同じものに対する当て字の違いに過ぎず日子を意味する。

三は御の字と同じであるから、

この毛を<キ>からさらに沖縄弁化して<チ>と発音してみると、

御毛野は<ウチヌ>すなわち御真が同語だという可能性がある。

三毛野の命は文字をかえれば御真津命になるからである。

これは手がかりに過ぎないが毛人とは何者かが

次第に判明してきたと思う。

狭野は、姶良郡一帯が襲の国であったから、

蘇という文字によって、

<ソ>とも<サ>とも読まれたものに過ぎない。

名詞復原(図表3)  要素 日本式漢音 沖縄方言 南九州方言 中国語北京音

                       霧 島
                        ┌┐
                  霧之国    松浦     チン─珍─ウズ 機 ─  綿
                    │      │            │    │    │
            久士布流    霧     末盧    ?     ウヅマサ ─  ハタ─ ワタ
               │    │      │   │     │    │     │
        久住   槵触    キリ    モウロ  ウシ   <太秦> ─ タバタ  大海
         │      │        │        │      │      │               │
 九州─ 九重 ─ 槵生     毛利 ─  毛国   大人─  大秦  =  海神─渡津見
   │        │                        │
串木野─ クシッノ ─ 槵の     毛人   ウチヌ  大角  ウシヌ ─ 牛の─ 牛津
   │        │        │      │      │               │
高句麗 ─句麗 ─ 栗野     毛奴    沖縄   内国─ 大日の    牛国─ ソナ
│      │      │        │        │              │        │     │
高麗  ─ 呉 ─  鬼怒  ─ 毛野  ウチナワ クシマ─大日国 ─ ウシマ─大島
│    │      │        │        │              │   
│  神武─ 御毛野の─御毛野ガ─オキナカ─息長  オヒラ ─ 大平─オシラ
 │      │      │        │        │      │   │    │
コマ     │   任那 ─ ミマ奴  ウチヌツ 日奈久  阿日羅 ─  阿平─ 姶良
 │ 御 │      │     │       └┘     │      │        │
 駒─牧─?─  御間城 ─ ミマチ ─ 御真津  日国   日羅  ─  カラ─  韓
 │   │      │                  │   │   │    │   │
 │ 御 │      │     │       └┘     │      │        │
 駒─牧─?─  御間城 ─ ミマチ ─ 御真津  日国   日羅  ─  カラ─  韓
 │   │      │                  │   │   │    │   │
小馬   日   ミマカキ─ 目目微    ミマツ  日の国  シラ  ─  シロ─ 八代
│   子      │                  │   │   │    │   │
古馬   日   弥馬獲支─ 弥馬升 ─ ミマス   日本  始羅 ─  白 ─白縫
└┘   日                          │   │   │               │
忍熊   出   弥弥那利 ─ 耳成   ビバス  肥本  新羅 = シラヌヒ─不知火
   │    見      │    │        │   │
オシクマ     │    美美津 ─ 弥弥    日葉酢   熊本  

 │ 御 │      │     │       └┘     │      │        │
 駒─牧─?─  御間城 ─ ミマチ ─ 御真津  日国   日羅  ─  カラ─  韓
 │   │      │                  │   │   │    │   │
小馬   日   ミマカキ─ 目目微    ミマツ  日の国  シラ  ─  シロ─ 八代
│   子      │                  │   │   │    │   │
古馬   日   弥馬獲支─ 弥馬升 ─ ミマス   日本  始羅 ─  白 ─白縫
└┘   日                          │   │   │               │
忍熊   出   弥弥那利 ─ 耳成   ビバス  肥本  新羅 = シラヌヒ─不知火
   │    見      │    │        │   │
オシクマ     │    美美津 ─ 弥弥    日葉酢   熊本  
│   │   │           │   │
大日日─阿日日─日日津 ─ ヒビツ ─ヒビス  熊曽
│                 │   │
オシヒ ─ 襲  +シシの=ソジシノ  日々子   熊襲
│            ∥     │
大シ美─ 忍海         膂宍の空国   ヒビコ    
│            ∥     │
大隈 ─ オオスミ ─ 大角  カラクニ+韓国  ヒミコ
 │        │                  │
大隈            ツノ              <卑弥呼>
 │       │         ↑ 
    熊       ?       《謎の語源》




『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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