2010年5月4日火曜日

国や人種を分けられるか


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    240~243頁
 さてここでもう一度、高句麗建国地について、

 一気に突破した難関を、

 ふりかえってみないと頭がコンガラかってしまう恐れがある。

 鴨緑水は鴨緑江の語源になり、

 高句麗の移動と共に朝鮮国境の大河に名が移ったけれど、

 朱蒙王の時代は川内川のことであったこと。

 それは加武呂伎熊野大神や

 「中臣寿詞」、「出雲国造神賀詞」中の

 カムロギ、カムロミ、

 と酷似しており、後には鴨緑(オウリョク)とよまれたが、

 本来はカモロギ、カモロミという地名であったこと。

 それはやはり「フル」という別名を、それ以前はもっていたこと。

 その川上に国内城と呼ばれ、

 のち宮之城とよばれるようになった

 高句麗2代目の都があったこと。

 それは紀元107年前後にはすでに宮之城となり。

 後漢書が倭面土国と記録したものと一致すること。

 それによればスサノオの命は漢の都まで行ったこと。

 従ってそれは実在した王であったこと、

 などが、どれ一つ食いちがわない完全な証拠を揃えて、

 何もかも証明し、

 さらにそれは成川遺跡の鉄器文化と

 密接に結びつくことが証明されたのである。

 いかがですか?!

 頭が冴えてきたのを感じるでしょう?!

 もちろん、スタートとイニシァチブが違うのであるから、

 私との間にはギャップがあって、

 多少の混乱を感じておられるであろうが、

 自信が湧いてきたと推察する。

 あとは、あなたの情熱の問題だけである。投げてしまわないで、

 私が40年かかって

 コツコツとやったように実力を貯えること。

 それが惚ればれするような「強さ」に成長するのだ。

 私の貴重な「弟子」であるあなたが、

 私の期待を超えるスーパーマソになることを祈ってやまない。


 「写真:弥生鉄器文化の鹿児島の鉄刀(加治木原図)」

 鹿児島県からは銅器は出土せず、鉄器ばかりである。
 
 成川遺跡は卑弥呼時代であるから、

 北九州の器文化を圧倒したのは、この鉄器だったのである。

 しかしこれまでは、銅器がないことで、

 後進地帯だと全く逆に考えられていた。

 鉄器は大和朝廷以後という先入感が時代を

 まちがえさせていたのである。

 漢王に会い、

 漢軍と戦った人々が鉄刀剣をもっていたのは

 当然のことだったのに。

 ハッパかけはこのくらいにして、

 私たちの仕事は、

 これまで「お伽話」としか

 考えられていなかったものでさえ、

 素晴らしい「復原」をして、

 歴史上の謎を快刀乱麻を断つといった勢いで解いて行くのを見た。

 それは遂に完全といっていいほど、

 朝鮮の古代史と日本の古代史が一致することを

 証明してみせてくれた。

 ということは、日本、朝鮮、といった区別が、

 もう不可能だ、ということなのである。

 どこからどこまでが日本か朝鮮か?

 それはさらにインドネシアにまで同じことが言えそうである。

 スサノオが、形代や神主の狂舞に似せて作られた、

 というようなデタラメ学説?

 が、人類の敵の仕事である。

 と申しあげた意味を、もう一度よく噛みしめて、

 胸に刻みこんで戴きたい。

 よく見える眼でみると、学問以外のものでも、

 こうしたインチキな説明が、あなたをあざむき、

 皆さんを不幸にしているのに気づく。

 あなたは、その気の毒な人々を救うまえに、

 あなた自身が、すべてのことを、人まかせでなく、

 自分の頭で、正しく考え直してみる能力と習慣を、

 身につけなければならない。

 しかし、人間の脳の構造は、

 ともすると間違った働き方をしやすい。

 敵と味方が混乱してしまう。

 でも、前もって、そのことを知っていれば、

 過ちを犯さないですむ。

 このことはもう、これくらいにして、

 次は今や一体となった古代朝鮮と日本が、

 どう結びつくか、

 を言語の話とミックスしながら解いていこう。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書


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