出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
149頁
これらのことで、はっきり意識しておいて戴きたいのは、
<倭人>は<中国系文明>でなく、
<インド系文明>の持ち主だったという点である。
また海を越えて50数km先の距離を湘定する方法
すなわち<三角法>または<天測法>を
知っていたということである。
三角法はギリシャの天文学者ヒッパルコス
(B.C190~B.C124年)が創始者とされているが、
これは地球と月の距離や、月の直径、百個の恒星の詳細、
<地球の歳差運動>などの測定といった驚くべき業績によるもので、
彼がこれだけの応用をなしとげたどいうことは、
彼に至るまでに、
三角法の発達の歴史があったということである。
だがそれは余談にわたる。
ここでは<3世紀の倭人>が、
それを実地に役立てていたという事実が、
それ程不思議でもないということを知って戴く参考になれば
それでいいのである。
では<倭人>は、どんな器具を使って、
そんなに精密な測量ができたか。
現存する遺物ではそれは<鏡>しかない。
鏡面の反射で、その位置を確認すると同時に、
その背面にある目盛りを分度器として用いれば
立派に測量ができる。
三角法を御存知の読者にはその使い方を
今さら説明する必要はあるまい。
だから<倭人>がこのシステムを使うほかに方法のない
<大土木工事>を、
実際に行っていたという証拠を簡単に御覧にいれておこう。
それは卑弥呼の墓を出発点とする古墳の築造である。
筆者は40年前に、奈良県の古墳が直線上に
並んでいるという事実を発見して以来、
これにとり組んできたが、それは図ではっきりお判りのように、
山脈を越えて正確に配列している。
それは山間に隠れた広川寺の西行墓や、
聖徳太子墓などを余すことなく貫いているだけでなく、
遠く伊勢神宮に及んでいるのである。
これは鏡による光通信なくしては行い得ない文化所産である。
また、応神、仁徳などの大陵は、その重要な点と線が、
すべて他の陵墓や、池中の島などと結合している。
これも本書ではとうていお話しすることは
不可能であるからいずれ
ダイジェストしてご覧に入れることにして、
小さくて不鮮明だが、略図で御辛抱戴くほかない。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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