出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
264~267頁
ただお読み戴いてだけで、
それらの地名が日本語であることに気づかれたと思うが、
念のために、特にハッキリして間違いようのないものを、
私たちの使い馴れた文字に直してみると
次のようになる。
達巳(タツミ)、辰巳、巽。
多仁(タニ)、谷。
仇火(アタカ)、安宅。
高丘(タカオカ)、高岡。
鬲冬(カクトウ)、加久藤(宮崎県)。
陰達(イムタ)、藺牟田(鹿児島県)。
禦侮(コム)は少し説明がいる。
馭莫とかいてコムと読み、鹿児島県熊毛郡の古名である。
熊只(クマキ)がその郡名にあたるのは、
毛と書いてキーとよむ習慣が、
南九州から沖縄地方へかけて分布しているからである。
吉同(エド)、江戸。
阿冬号(アトゴウ)、阿多郷(アタゴウ)は
薩摩半島の古代豪族が阿多隼人と
呼ばれた時代の中心地であった。
率已山(ソシヤマ)は襲(ソ)之(ノ)山であることは、
もう説明は、いらないと思う。
霧島山魂の西南部一帯の古名とされ、
その地名は一部に現存している。
加主火(カスガ)と読まれ、
春日と書かれると奈良をはじめ全国に分布する地名になる。
史勿(シモツ)、下津。
和歌山県海南市に隣接して石油基地で有名な町を始め、
隼人系の人々の分布地に散在する地名である。
泗水(シスイ)、これをシスイと読む地名は熊本市の北にある。
中国に同字の地名があるが、
これは見られる通りシミズに対する当字である。
清水と書けば全国にあるが、
静岡県の清水市と、足摺岬で有名な土佐清水市の両市は、
明らかに隼人族の分布を示す名残りである。
一善(ヒトヨシ)、
人吉は鹿児島県境に近い熊本県の球磨(クマ)地方の中心地である。
皆次山(カジャマ)、梶山、樫山。
伊珍買(イチカ)、市川(千葉県)。
猪守峴(イスキ)、伊敷(イシキ)
という地名が鹿児島市内でかなり広い地域を占めている。
これはまた指宿(イブスキ)が郡名では
揖宿と書かれて<イスキ>とも読めることを考えると、
本来同じ地名であったものに対する当字だと考えられる。
<猪嶺県>(イレキ)は一見しただけでは無理に見えるが、
これは多くの史書に<慰礼城>として登場するものが、
県名に変ったもので、
現在の入来(イリキ)の位置にピッタリ合うのである。
このことは説明によって始めて納得のいくことで、
こうした変化が、
この地理誌中には沢山あることが考えられる。
研究が進めば一層、その地名が日本語、
ことに鹿児島、熊本を出発点とする地名であることが
明らかになると信じられる。
千尸(ウジ)、宇治、内、牛。
仇知(キウチ)、木内。
(アダチ阿達、安達)、
豆仍只(ツナギ)、
津奈木(水俣市に近い、かつての火(ホ)の
葦北(アシキタ)に当る現存地名)。
燕岐(ツバキ)、椿。
富有(トムアリ)→トマリ、泊。
仇次礼(クジライ)→クジラ→クシラ、串良(鹿児島県)。
求礼(キュウレイ)。
これは鹿児島独特の姓である給黎(キュウレイ)が、
今、喜入(キイレ)と書かれる地名と同じもの、
すなわち古名であることを知らなければ、
判断に苦しむことになる。
まだまだ、あげればキリがないが、
以上の例で充分、これらの地名が日本語であり、
南九州系のものであることが、納得いったと思う。
これらの三韓地名の大群は、
それらがもともと朝鮮半島よりも、
九州にあったことを示唆している。
さらに、それらが現実に、
半島に分布していた事実は、
住民と共に移動する地名の常として、
決して不思議でほなく、
三韓が九州で発生したことの証拠にはなっても、
反証にはならないのである。
それは高知県、和歌山県、静岡県、千葉県といった
隼人族圏の地名とも
一致しているのであるから、当然、移動している。
その出発点はまた当然、
一つの地域に集中して、絞られるのである。
「地図:三韓と共通の現存九州地名(加治木原図)」
(本書に引用分のうちの一部)
1 タニ 種子
2 コム 熊毛
3 アタ 阿多
4 クシラ 串良
5 カクトウ 加久藤
6 イムタ 藺牟田
7 ソノヤマ 襲之山
8 イシキ 伊敷
9 イスキ 揖宿
10 イレキ 入来
11 ヒトヨシ 人吉
12 ツナギ 津奈木
13 キイレ 喜入
14 トモチ 砥用(富有)
15 シスイ 泗水
16 キクチ 菊池(仇知)
17 ウシヅ 牛津
18 タク 多久
19 カシヒ 香椎
20 ツバキ 椿
21 クキ 洞
22 カラツ 唐津
23 ウサ 宇佐
24 トミキ 富来
25 ヒジ 日出
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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