出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
40~41頁
邪馬臺国政権との関係が単なる他人のそら似でないことが、
おわかりであろうか。
むしろ逆に、余り候補が多すぎて、
かえって頼りない感じがあると思う。
それは、先ず似たものをできるだけ集める、
という仕事の性質上やむを得むことで、
この中から、
どれが完全に一致するか検討して選び出すのである。
これほど類似が見られたということは、非常に有望といえる。
疑問を抱かれた『記・紀』用字の読み方について
注釈を加えるから、
その理由をよく理解して戴きたい。
1 伊玖<米>を<マ>としたのは、<マイ>の頭音使用である。
万葉集などでおわかりの通り、
日本語の五十音と漢字の発音とは一致しないが、
字音の頭声たは尾韻(びいん)だけを
使って日本語を写した時代が、カナ文字誕生まで続いている。
『記・紀』が書かれた時代もそのうちに入る。
ここにあげた名前は、
双方とも当時なんと発音されていたのか不明なのだから、
対照文字どうしの、最大公約数を求めるしかない。
頭音使用とみるのは無理のない方法の一つである。
2 伊<玖>米>の音、<キュウ>の頭音と
支の音、<キ>とをそろえてみた。
3 活<目>は古語で<マ>とも発音された。
4 倭<彦>命の音は<ゲン>、その頭音ほ<ゲ>である。
濁音を清音にする習慣を用いると <ケ>とも読める。
5 <彌>馬升は我が国では<ミ>、
<メ>、<ヤ>の音に使って来たが
サンズイのついた瀰(ビ)でわかる
通り<ビ>の古音をもっている。
それは美が<ミ>と<ビ>の両音をもっているのと同じである。
6 <彌>馬升:<ビ>の清音の文字を選んだ可能性がある。
7 御間<城>は御垣守の名が宮城守護者の職名であったように、
本来垣で囲われた場所を意味し、
それが大規模になったものである。
だから城と書いて<カキ>、<ガキ>と読み、
この<ガ>を助詞とみて落とし、<キ>ともよんだ。
崇神紀では皇居を、<ミズガキ>の宮とよんでいるが、
これは<ミマキ>を水国城とした結果で、
城を<カキ>とよんだ痕跡をはっきり止めている。
8 <目目>微を<メマ>とよむのは<ミマキ>に対応するからで、
目は沖縄弁で<ミ>、古語で<マ>。
9 <中城><ナカジョウ>:重箱よみは『記・紀』万葉では普通。
10 渟中城<入>:<キ>は沖縄弁では<チ>。
11 渟葉田<瓊>:入<之>と<瓊>は助詞とみると、
読まないでもよくなる。除去して合う場合の例。
12 <豊>鉏入:頭音使用。東京都豊島トシマ区
「写真:古事記の崇神系譜一部」(加治木原図)
江戸時代の三国幽眠「古訓古事記」。
中央部に後述の大入杵命が明記されている。
この時代になると非常に立派な印刷になっている。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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