2010年5月14日金曜日

用字の発音分析


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    40~41頁


 
 邪馬臺国政権との関係が単なる他人のそら似でないことが、

 おわかりであろうか。

 むしろ逆に、余り候補が多すぎて、

 かえって頼りない感じがあると思う。

 それは、先ず似たものをできるだけ集める、

 という仕事の性質上やむを得むことで、

 この中から、

 どれが完全に一致するか検討して選び出すのである。

 これほど類似が見られたということは、非常に有望といえる。

 疑問を抱かれた『記・紀』用字の読み方について

 注釈を加えるから、
 
 その理由をよく理解して戴きたい。

 1  伊玖<米>を<マ>としたのは、<マイ>の頭音使用である。

   万葉集などでおわかりの通り、

   日本語の五十音と漢字の発音とは一致しないが、

   字音の頭声たは尾韻(びいん)だけを

   使って日本語を写した時代が、カナ文字誕生まで続いている。

   『記・紀』が書かれた時代もそのうちに入る。

   ここにあげた名前は、

   双方とも当時なんと発音されていたのか不明なのだから、

   対照文字どうしの、最大公約数を求めるしかない。

   頭音使用とみるのは無理のない方法の一つである。

 2 伊<玖>米>の音、<キュウ>の頭音と

   支の音、<キ>とをそろえてみた。

 3 活<目>は古語で<マ>とも発音された。

 4 倭<彦>命の音は<ゲン>、その頭音ほ<ゲ>である。

   濁音を清音にする習慣を用いると <ケ>とも読める。

 5 <彌>馬升は我が国では<ミ>、

   <メ>、<ヤ>の音に使って来たが

   サンズイのついた瀰(ビ)でわかる

   通り<ビ>の古音をもっている。

   それは美が<ミ>と<ビ>の両音をもっているのと同じである。

 6 <彌>馬升:<ビ>の清音の文字を選んだ可能性がある。

 7 御間<城>は御垣守の名が宮城守護者の職名であったように、

   本来垣で囲われた場所を意味し、

   それが大規模になったものである。

   だから城と書いて<カキ>、<ガキ>と読み、

   この<ガ>を助詞とみて落とし、<キ>ともよんだ。

   崇神紀では皇居を、<ミズガキ>の宮とよんでいるが、

   これは<ミマキ>を水国城とした結果で、

   城を<カキ>とよんだ痕跡をはっきり止めている。

 8 <目目>微を<メマ>とよむのは<ミマキ>に対応するからで、

   目は沖縄弁で<ミ>、古語で<マ>。

 9  <中城><ナカジョウ>:重箱よみは『記・紀』万葉では普通。

 10  渟中城<入>:<キ>は沖縄弁では<チ>。

 11 渟葉田<瓊>:入<之>と<瓊>は助詞とみると、

   読まないでもよくなる。除去して合う場合の例。

 12 <豊>鉏入:頭音使用。東京都豊島トシマ区

 「写真:古事記の崇神系譜一部」(加治木原図)

  江戸時代の三国幽眠「古訓古事記」。

  中央部に後述の大入杵命が明記されている。

  この時代になると非常に立派な印刷になっている。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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