2010年5月11日火曜日

発掘考古学の限界(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    19頁

 
 では邪馬臺国の謎といわれるものは、

 こうした倭人の正体を明らかにすれば解けるものであろうか。

 倭人伝には卑弥呼が死んだので大きな塚を作ったとある。

 これはどう考えても古墳の大きなものである。

 それは目立つ存在であるから、

 見つけるのは、さして困難な仕事ではない。

 しかも、これまでこれという塚が見つからないのは、

 我が国には大きな塚が多すぎて、

 そのうちのどれかというキメ手が見つからないためである。

 確かに卑弥呼ときりはなせない

 景初三年鏡を出土した古墳もあるが、

 それだけで卑弥呼の墓ということにはならない。

 それが彼女のものだと確認されるためには、

 発掘考古学以外の、

 もっと別の確認が必要なのである。

 納得できない方は高松塚古墳について、

 少し考えて戴けばよくわかる。

 こちらはさらに5世紀も後世の有史時代のもので、

 もっと詳しい記録のある時代の見事な壁画や星宿図まで

 備えた古墳である。

 にもかかわらず、それが一体誰のものであるか、

 諸説ふんぷんとして謎に包まれたままなのである。

 「写真:ウル王朝の殉葬」(ウーリーにより加治木模写)

 今から約4600年前のメソポタミアにあった

 ウル王朝のシュブ・アド王妃埋葬時の光景を

 発掘者サー・C・リョウナード・ウーリーの

 遺物出土記録をもとに精密に復原して

 描いた図の模写である。

 単なる想像ではない。


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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