出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
19頁
では邪馬臺国の謎といわれるものは、
こうした倭人の正体を明らかにすれば解けるものであろうか。
倭人伝には卑弥呼が死んだので大きな塚を作ったとある。
これはどう考えても古墳の大きなものである。
それは目立つ存在であるから、
見つけるのは、さして困難な仕事ではない。
しかも、これまでこれという塚が見つからないのは、
我が国には大きな塚が多すぎて、
そのうちのどれかというキメ手が見つからないためである。
確かに卑弥呼ときりはなせない
景初三年鏡を出土した古墳もあるが、
それだけで卑弥呼の墓ということにはならない。
それが彼女のものだと確認されるためには、
発掘考古学以外の、
もっと別の確認が必要なのである。
納得できない方は高松塚古墳について、
少し考えて戴けばよくわかる。
こちらはさらに5世紀も後世の有史時代のもので、
もっと詳しい記録のある時代の見事な壁画や星宿図まで
備えた古墳である。
にもかかわらず、それが一体誰のものであるか、
諸説ふんぷんとして謎に包まれたままなのである。
「写真:ウル王朝の殉葬」(ウーリーにより加治木模写)
今から約4600年前のメソポタミアにあった
ウル王朝のシュブ・アド王妃埋葬時の光景を
発掘者サー・C・リョウナード・ウーリーの
遺物出土記録をもとに精密に復原して
描いた図の模写である。
単なる想像ではない。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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