出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
81~82頁
もう一人のタキリヒメは、スサノオの命の娘、
三女神の長女に当る方である。
古事記
① 多紀理毘売(タキリヒメ)またの名、奥津島(オクツシマ)比売
② 市寸島(イチキシマ)比売またの名、狭依(サイ)毘売
③ 多岐都(タキツ)比売
書紀本文
① 田心(タコリ)姫、
② 湍津(タキツ)姫、
③ 市杵(イチキ)島姫
以下一書
① 瀛津(オキツ)島姫、
② 瑞津姫、
③ 田心姫。
① 市杵島姫、
② 田心姫、
③ 瑞津姫。
① 瀛津島姫またの名市杵島姫、
② 湍津姫、
③ 田霧(タキリ)姫。
一見しただけで、ずいぶん混乱が激しいことがわかると思う。
しかし、そのうちで、
多紀理(タキリ)毘売、田心(タコリ)姫、田霧(タキリ)姫が
「タキリヒメ」であることは、説明はいらない。
また混乱はあっても三人柿妹であることは厳重に守られている。
そこで応神天皇妃の高城入姫を見てみよう。
古事記では、品陀(ホムタ)真若(マワカ)王之女(ムスメ)、
三柱の女王、として
古事記 ①高木之入日売、②中日売、③弟日売、としてある。
書紀では ①高城入姫、 ②仲姫、 ③弟姫である。
この中、仲、弟というのは名前ではない。
ナカは次女、オトは末娘のことである。
ここでもぴったり3人だから、よく合うのであるが
『記・紀』双方とも、
申し合わせたように②③の名前がないのである。
一体応神天皇ほどの大帝の后妃の名が
不明のままということがあるであろうか?
これは②③のうち一人でも明記したら、たちまち、
スサノオの命の三女神だと判るために、
どうしても名前を書くわけにはいかなかったと思いたくなる
書き方である。
しかし、タキリヒメの名と、三姉妹という2点では一致している。
仮にスサノオの命と品陀真若王が同一人だとすれば、
これまで神話の世界の存在とされていた
スサノオの命は実在者品陀真若王の別名だという
大変すばらしいことになる。
この仮定が正しければ必ず他の証拠が見つかるはずである。
天皇の本系でないために品陀真若王の系譜は簡単なものしかない。
そこで先ず記載の多いスサノオの命の系譜から見ていこう。
どういうものか、この命を祖とする大国主命一族の記事は、
『日本書紀』には少く、『古事記』には詳しい。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書