2010年3月22日月曜日

恥かしい古代史不明国

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    36~42頁


 これから解読にかかろうという暗号書が本物かどうか、

 誰かがいたずらに作ったものではないかまず

 確かめる必要があるのと同じく、

 私たちも『記・紀』がどの程度信頼でき、

 どの程度頼りないか、

 あらかじめ知っておく必要がある。

 全然信じられないものなら、

 苦労して解読しょうとするのは無駄で、ばかばかしい。

 しかし信頼できるとなれば、

 それは今なお不明のままで、

 文明国としては実に恥かしい状態にある謎の古代史が、

 私たちの先祖の真相を教えてくれる。

 大へんな喜びを与えてくれる、

 大きな違いがあるからである。

 もちろん、信じられるかどうかは、

 全部解読できなければ、

 わからないともいえるが、

 ほぼ、どうなのか、

 あたりをつけてみられないだろうか?。

 そのためには、『記・紀』の著者たちが、

 いい加減に書いた部分と、

 重点をおいて書いた部分を見わけることによって、

 答えが出そうに思える。
 
 『記・紀』は何を目的に書かれたのだろう?。

 それについていろいろな説があるが、

 私のみる所では、

 天皇を中心にしていることは間違いない。

 だから『記・紀』の「系譜」の部分は、

 ほかの部分よりも慎重に記録されていそうである。

 また長い文章の部分は、

 どうしても憶えちがいや忘れた部分、

 書きちがい部分が生れやすいが、

 人名、ことに天皇家のものとなると、

 短かくて間違いにくいのと、緊張して書かれる、

 ということが重なって、

 一番、まちがいが少ない、と考えられるからである。

 ところが、

 『日本書紀』と『古事記』その他の文献に

 書かれたその系譜を比べてみると、

 かなりの違いがあることがわかる。

 これは何故だろうか?。

 『記・紀』の著者達のどちらかが、

 いい加減に書いたためか、

 間違った資料に基づいたためか、

 それとも時代が古いために、

 言い伝えが訛ってしまっていたのか?。

 その理由らしいものを著者自身が

 説明している部分がある。

 『古事記』序文である。

 『記・紀』の系譜比較図

 (古事記)

  天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

 (アマツヒタカヒコナギサタケウカヤフキアエズ)

 (日本書紀)

  彦波瀲武鸕鷄草葺不合尊
 
 (ヒコナギサタケウカヤフキアユズ)

 (記)(その子)

  五瀬命。稲氷命。御毛沼命。若御毛沼命

 (またの名、神倭伊波礼毘古命)

 (紀)(その子)

 彦五瀬命。稲飯命。三毛入野命。

 稚三毛野命(またの名、神日本磐余彦火々出見尊)

 (記)
   神武天皇─────────┐┌多芸志美美命
                ├┤
   阿多之小椅君妹阿比良比売─┘└岐須美美命


 (紀)
   神武天皇─────────┐
                ├─手研耳命
   日向国吾平津媛──────┘



 (記)
           (応神天皇)
           品陀和気命───┐
                   ├若野毛二俣王┐  允恭天皇─────┐
          ┌息長真若中日売─┘      │           │
   咋俣長日子王─┤               ├─忍坂之大中津比売命┘
          └─────────百師木伊呂弁┘
                   (弟日売真若比売命)


 (紀)
           (応神天皇)          允恭天皇──┐ 
           誉田別尊─┐              │
                ├稚野毛二派皇子─忍坂大中姫命┘
   河派仲彦────弟媛───┘


 (上宮記)
           (応神天皇)
           凢牟都和希王─┐
                  ├若野毛二俣王┐
   淫俣那加津比古─弟比売麻和加 ┘      ├践坂大中比弥王
                  母々恩己麻和加中比売┘



 天武天皇が『諸家臣が、

 その家に代々伝わった帝紀(天皇の系譜)と

 本辞(歴史記事)をもっているが、その内容が間違ったものや、

 嘘を書き加えたものが多いと聞く、

 今のうちに、その間違いを正しておかなければ間もなく何が

 本当だか、わからなくなる。

 それでは国が維持できなくなり、

 せっかく国民を教化しようとする天皇の仕事が

 根底から駄目になる』といって、

 正しい帝紀と旧辞を、稗田阿礼という

 記憶力抜群の家臣に暗記させた、と書いてあるのである。

 (この訳は私のもので不安な方は、

  岩波文庫の古事記などに原文がのっているから

  御自分で読んでみて頂きたい。)


 「複写:古事記序文」

 於焉、惜舊辞之誤忤、正先紀之謬錯、詔臣安万侶、

 撰録稗田阿礼所誦之勅語舊辞以、献上者、

 謹随詔旨、子細採摭。然、上古之時、言意並朴、

 敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心、 

 旧辞、先紀に間違いがあったことと、

 上古の言語をそのまゝ伝えられないことと、

 文字、文章、言語そのものが、

 当時すでに異なっていたことを明記した部分。

 この文章でわかることは少くとも8~9世紀に

 重臣たちの家に一種の歴史を書いたものか、

 言い伝えがあり、それが違った内容だったということである。

 といっても、この序文がいい加減な作文であれば、

 本当のところはわからないのであるが、

 かなり本当にありそうな話である。

 だから真偽の詮索よりもどういう原因で、

 系譜に狂いが生じたかを考える参考にはなる。

 ただ、この古事記が、その序文どおり、

 天武天皇の発案になるものなら、

 なぜ推古天皇までで止めて、

 それ以後の正確な記録を残さなかったのか?

 ということが疑問である。

 さらに、なぜ古代の方に詳しく、後代の方に欠史があるのか?

 という疑問も湧いてくる。

 なぜなら、崇神天皇から顕宗、仁賢両天皇までは、

 かなり詳しい歴史物語があるのに、

 それ以後の9代の天皇は、ただ系譜が書いてあるだけなのである。

 天皇自身が「歴史が間違っていては国家の一大事だ」といい、

 それによって古事記が生れた、と書いた本人が、

 不鮮明も不鮮明、

 何一つ書いてない部分を作りあげてしまったのである。

 小さな間違いがあっても、いけないというのに、

 どんなにでも勝手に想像できるように

 空白にしてしまうということが、

 常識で考えられるであろうか?。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

0 件のコメント:

コメントを投稿