出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス
<日本人のルーツ>-その探求の一方法-
文化が伝わるには、いろいろな形がある。
ある時は民族の移動と共に、
文化が他の土地へそっくり移ることもあるが、
一人または二人の旅行者によって、
限られた文化だけが持ちこまれることもあり、
さらには民族の移動なしで、
文化だけが伝わることもある。
例えば遣唐使といっしょに中国へ渡った僧たちが、
仏教や食物の造り方を学んで帰ったように。
こうした様々な文化伝播の形があるから、文化が伝わっているからその民族が、
日本へ移動して来たのだ、とか、日本人はそこからやってきたのだ、というのは無理である。
それだけでは文化が民族移動や、民族の出身地を示す証拠にはならない。
けれども同じ文化がどちらにもあるということは、民族相互の接触があったことを示し、
文化だけが書物や電波にのって渡ってくるということの、ほとんどなかった古代に、
すでに共通の文化が存在したという場合は、それは人自身が運んだことに疑問の余地はない。
そうした文化の中には民族そのものが移動してきて、
運んできたものもたくさんあるはずである。
それはどうすれば見分けることができ、
ルーツ探しに役立てることができるのだろうか。
それは量が教えてくれる。
技術だけが入った場合は、
それだけが孤立しているが、
大勢の人々がやってきた場合は、
多くの文化が複合して、
セットになって組み合わされて入ってきている。
もちろん時と共に変型するし、より新しく入ってきた文化に入れ替わることもある。
しかし、全滅せぬ限り複合したものを発見できる。
それは桶の例のように、より便利な代わりの品物が豊富な時代になっても、少しは生き続けるものがあるからである。
また身体的特徴のように幾ら混血しても、多くの世代をへだてて表面に出てくるものがあるし、言語のように民族は入れ替わっても、その土地の言葉は血液とは関係なく、方言の形で生き残るものがある。
あなたの周囲の方を考えてご覧になると、両親は他府県也身であっても、その子は完全に育った地方の方言を話し、それからは両親の出身地は解らないという例が無数にある。
もちろん方言も永い時間の経過と共に、変型したり、新しいものと交替したりするが、その中から古いものを選び出すことができる。
反対に、ある種の文化だけが輸入された場合は、孤立していて不自然である。
たとえば言葉だと、発達した難しいものがあって、民族が本来もっていた身近な言葉が見当たらない。
こうしたはっきりした原則を利用すれば、その文化が人といっしょにやってきたかどうか、その人数は多かったか少なかったか、およそいつごろやってきたのか、どこからどういうコースできたのか、その間にどんな事件にであったのかなどまで探り出せるのである。
<写真>
●古式角樽
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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