出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス
<日本人のルーツ>-その探求の一方法-
家屋の話しで忘れることのできないのは千木である。
日本人は永い間、千木は日本独特のものだと信じてきた。
しかし、東南アジアには広く千木が分布していたのである。
それらをすべて調ペてみると、最も原始的なものは31ページのインドネシアのもので、牛の頭をそのまま棟の両端にとりつけている。
またスラウエシのラムパ村のものは、コブ牛の長い角そっくりに削ったものを取りつけている。
そして同じスラウエシのトラジャ族のものは、水牛の頭や角を、棟ではなく、軒下の柱に数多く取りつけている。
こうした事実から出る結論は、日本の千木もまた、牛頭を象徴したものだということである。
その観点からみると全国の神社の千木のうち、伊勢神宮の天地神明造りのものが、最もよく牛顔を写している。
右の絵は拙著『邪馬台国の言葉』(昭和51年)から再録したものだが、その部分部分が細部まで巧みに表現されているのに驚くほどである。
<牛頭をかたどった千木>
鼻面・上顎・角・耳・下顎・歯
その外観が日本の千木に一番近いのは、グエバ・アカ族の酋長宅のものであった。
もっともそれは角にあたる部分だけのもので、日本の農村の小社に見られるようなものである。
このアカ族は同時に鳥居の一種とコケシに近い男女木偶を祭っている。
こうしたコケシ型の神像はインドシナ半島の各地で広く祭られていて、日本のコケシが本来、何であったかを物語っている。
カンボジアではこの神像をドンターと呼ぶ。
新年の祭りはドンターの祭りで、日本の御幣とよく似た形に切った紙を祭壇にぶらさげる。
福岡市の博多ドンタクは語源不明の祭りであったが、それが本来、新年の祭りであったことと考え合わせると、このドンターが語源として一番近い。
なお御幣形の切紙は東南アジア一帯に、様々な形式で広く広がった信仰表現である。
<写真>
●牛頭をかたどった千木
角・上顎・鼻面・耳・下顎・歯
●グエバ・アカ族の木偶(タイ)
●インドシナの御幣
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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