2010年3月26日金曜日

書紀第1巻は欽明紀(2)

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    52~54頁

 同じことを例によって証明するのは易しい。

 「下これに効え」と書かれた注を順番に拾って行くだけでいい。

 「淡道之穂之挟別嶋(アハチのホのサワケシマ)」の下には

 同じ割注で

 「別の訓(よみ)は和気と云え」とある。

 別をワケと読む部分は沢山でてくるが、

 この注は、その第一番目のものにつけてある。

 「石土毘古神」には「石の訓は伊波(イハ)と云え、

  また毘古二字は音(おん)で、下これにならえ」とある。

 これは「イシツチヒブル神と読まず、イハツチビコ神とよめ」

 ということで、

 やはり石をイハと読む第一番目の名に、

 この注がついているのである。

 「複写:古事記本文第一行目の割り注」

 7行目、最終行にも割注が見られる。

 その他の細字は後世の解説で『古事記』本来のものではない。

 天地初発之時於高天原成神名(訓高下天云阿麻下効此)

 天之御中主神

 次高御産巣日神

 次神産巣日神

 此三柱神者独神成座而隠身也

 次国稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣琉之

 時(琉字以上十字以音)如葦牙因萌騰之物而成神名

 宇麻志阿斯訶備比古遅神

 次天之常立神(訓常。云登許。訓立。云多知。)

 『日本書紀』の同じ部分をみてみよう。

 天地の中に始めて現われた神を国常立尊と書いた下に

 「至貴曰尊自余曰命並訓美挙等也下皆効此」とある。

 「非常に貴いのを尊、その他を命、どちらもミコトと訓(よ)む。

 以下皆これに効(なら)え」やはり一番最初に書いてある。

 これは明らかに著者が書いたものである。

 尊と命とを書き分けるにあたって、それがどうちがうか、

 それをどう読むかを定義せずにおくわけにはいかない。

 だが、本文ではないから、

 文字を小さくして「注」であることを明らかにする方法を、

 わざわざとっているのである。

 この本文第一項には、早速、例の「一書曰」がついている。

 原文のままでは、ややこしいと思うので、

 分(わか)ち書きにしてみよう。

 「一書曰 天地初判 一物在 於虚中 状貌難言 

  其中自 有化生之神 号国常立尊 亦曰

  国底立尊 次 国狭槌革 亦曰 国狭立尊 

  次 豊国主尊 亦曰 豊組野尊 亦曰

  豊香節野尊 亦曰 浮経野豊買尊 

  亦曰 豊国野尊 亦曰 豊齧野尊 亦曰 葉木国野尊

  亦曰 国見野尊」

 この中で亦曰「または言う」と書いた次の名は、

 亦曰の前の名には、別名として、

 こういう名もある、という意味であることはお判りだと思う。

 皇国主尊は豊組野尊とも、豊香節野尊とも……いう」と

 七つの別名があることを証言しているのである。

 だが、いま私達の注目せねばならないことは、

 注が、これだけでお終いになっていることである。

 なぜ、そんなに沢山の別名が生れたかの説明も、

 以下これに効えも、全く書いてないのである。

 尊と命という細かい相違に、

 たった今わざわざ注をつけた同じ著者が、

 これ程、重大な、『日本書紀』全体の信用にかかわる問題を、

 一言の断(ことわ)り書きもせずに、捨てておくであろうか?。

 なぜ捨てておいたかと言えば、それは既に、

 そのことは以前に、ちゃんと断ってあるからである。

 だから二度同じことをする必要を認めなかったのである。

 では、どこでそれを断わったのか?

 ほんの先、みたとおり、

 それは欽明天皇紀の書き出しで断ったのである。

 「帝王本記多有古字」に

 始まる長文の注記を前もってしていたからこそ、

 平気で一書曰、亦曰と書きっ放しに出来たのである。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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