出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
70~72頁
だが、これで終ったわけではない。
どれが一番はじめの名。
すなわち本当の名なのか? ということが未解決である。
一見するとTOYOKという字が多いために、
それだけは確実な本物のもっていた名のように思える。
しかし、もう少し気をつけてみると、
葉木がハコと読めること(木は古くコともよんだ)と、
豊国がホコと読めること(国は古くコとよんだ)で、
この豊の字が、ハコのなまりとして、
あとでつけ加えられたものではないかとも考えられるのである。
豊国をホコと読むのは音読である。
リストにカナ書きしたのは11、12の’’内をのぞいて
全部古い日本(すなわち倭)音である。
そこへ突然、音読を混ぜていいだろうか、と思われようが、
④をみて戴きたい。
浮経野は音読するとフケウノとなり、豊の別の音フと一致し、
(豊前と書いでブゼソと読むほか、フィとよむ例もある)
豊齧野の音読フケイノにも非常に近い。
どうもこの豊の字はトヨだけでなく、
ホ、フ、フィ、ブなどと読まれた可能性がある。
そこで仮にではあるが、この豊をとり去ってみると、
1字のものは身体障害者であって、
2字のものが原型とすれば、
クニ、クミ、カミ、クモ、クマといった、
日本語としては貴族的な内容をもった言葉に集約されるのである。
国、隠(クミ)、組、神、上、雲、熊は、神や天皇や豪族を
飾ることばとして
『記・紀』の中に登場する。
だから、これらは本来一つの言葉だったものが、
次第に分れて、
それぞれの音と意味をもつものに、進化した可能性がある。
そのことばは「カミ」。
さらにそれはアイヌ語によって「カシ」の木につながった。
カシということばは神武天皇の即位地が橿(カシ)原と呼ばれ、
神功皇后の聖域が香推(カシヒ)の宮と呼ばれ、
神に祈りを捧げるしるしを拍手(カツワデ)といい、
神饌は柏(カシ)の葉に盛られ、
天皇に食事を奉る官吏を膳(カツワデ)と呼ぶ、
一言にしていえば神聖を意味する語である。
こう考えを進めると、これらの語の一番元になった語源は、
ごく単純な「神」だったとしか思えない。
それが欽明記の注にあった通り、古字であったことから、
変化しはじめ、同じ意味が上下に重なり合った
葉木国や浮経野豊買といった状態が生れ、
さらに様々な文字が使われたために、
「の」という助詞も名前として扱われて「野」となり、
このリスト中にほ番外だが
「熊野」大神という名も生れたのである。
これは断言ではなく、まだ仮説であって、
さらに研究が必要だが、この分化がさらに進んで、
人為的に修飾が加えられた証拠があるから、それを見て戴くと、
私たちの結論が仮説としても非常に純度の高い、
真相に近いものであることが、おわかり戴けると思う。
それは書紀の、
この神名の一書の次に来る本文(間にまだ幾つも一書がある)に
「惶根尊(カシコネ)」
亦曰「吾屋惶根(アヤカツコネ)尊」
亦曰「忌橿城(イミカシキ)尊」
亦曰「青橿城根(アオカツキネ)尊」
亦曰「吾屋橿城根(アヤカシキネ)尊」という神があり、
次の一書ではイザナギ、イザナミ二神は、
この青橿城根尊の子なり、と書いている。
その次の一書では沫蕩(アハナキ)尊がイザナギ尊を生む、
と書いてあるから、
もう一つ「沫蕩(アハナキ)尊」も亦の名なのだということが、
アヤ、アオ、アハという類似とキの一致で確認できるのである。
もう説明はいらないかとも思うが、
念のために進化リストを作ってみよう。
本来「神」という言葉が、次第 に変化して
沢山の「神々」を生み出して行った様子が、
おわかり戴けたと思う。
その神は私たちが「熊野大神」と考えるのが
一番わかりやすい神である。
その神がはじめて、今度は分身でなく子神を生んだという。
『日本書紀』では
「伊弉諾尊(イザナギのミコト)」、
「伊弉冉尊(イザナミのミコト)」。
『古事記』では、
「伊邪那岐命(イザナギのミコト)」、
「伊邪那美命(イザナミのミコト)」という
文字が使ってある二神である。
神
↓
コ ム ニ
↓
カシの木
↓
カ シ キ
↓
カ シ コ ネ
↓
アヤ カ シ コ ネ
↓
アヤ カ シ キ ネ
↓
アオ カ シ キ ネ
↓
人為的修飾語(アハ) ナキ (ナ) <助詞「の」=「ナ」>
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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