2010年3月28日日曜日

方言、アイヌ語、朝鮮語


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    65~69頁

 次の表を見て頂きたい。

 <D>の部分は<カ>と<ク>の違いにすぎず、

 これは日本語では起りやすい訛(なま)りである。

 集中的に変化が見られる部分は<E>の列である。

 それだけをとり出して<JK>にローマ字で書いてみると、

 これもまた<J>では<N>と<M>の違いにすぎないことがわかる。

 「方言・アイヌ語・朝鮮語」

            ABCDEFGHI JK

 ① 豊  国  主  トヨ クニ ヌシ  NI

 ② 豊  組  野  トヨ クミ   ノ MI

 ③ 豊 香 節 野  トヨ カ  フシノ 

 ④ 浮  経  野    ウカ  フ ノ 

 ④ 豊     買  トヨ カ(イ)(フ)   I

 ⑤ 豊  国  野  トヨ クニ   ノ NI

 ⑥ 豊  齧  野  トヨ クイ   ノ  I
            トヨ カミ   ノ MI

 ⑨ 豊  斟  野  トヨ クミ   ノ MI
            トヨ クム   ノ MU

 ⑩ 豊  雲  野  トヨ クモ   ノ MO

 ⑧ 国  見  野     クニ ミ ノ NI
               クミ   ノ MI

 ⑦ 葉 木 国 野 〔ハキ〕クニ   ノ NI

 11 葉   木(アイヌ読み)‘コム   ニ’

 12 (コム)=(朝鮮語の) ‘クマ ’(ノ)
 
 13 (その意味は)日本語の カシ

 
 <N>と<M>。は語尾に来た場合、「ン」になって

 区別がつかないが、

 語頭にあって区別がつかないことはあまりない。

 現代の日本語では、<ナ>行と<マ>行が

 ギッシリ言葉でつまっていて、あまり混乱はない。

 しかし方言には、この二つが混乱しているものがある。

 さきにお話しした朝鮮にあったのか、

 逆に日本の中にあったのかと言う任那(ミマナ)も、

 よく見て頂くと、本当は<ニンナ>とよむべき字であることが、

 おわかりだと思う。

 この<任>と同音の<壬>を使った有名な地名は、

 新撰組の本拠があった壬生(ミブ)である。

 虹と書いてニジとよむのは常識なのだが、

 大分県から四国、和歌山、三重へかけてと、

 島根県から京都、石川、富山の一部へ、

 とびとびにではあるが「ミョージ」あるいは「ミュージ」と

 発音する所がある。

 蜷(ニナ)川というよく知られた姓があるが、

 この蜷を、長崎、鹿児島、宮崎などでは、

 ミナあるいはビナと発音する。

 さらに南へ行くと、沖縄方言では蓑(ミノ)をンヌ。

 味噌(ミソ)をンシュと発音する。

 八丈島では「苦(ニガ)い」をミガイという。

 大変な訛り方だと思うが、

 私たちがふつうに使っている葱(ネギ)の仲間の韮(ニラ)は

 正しい発音であろうか?

 大言海には、古くは<ミラ>が正しかったと書いてある。

 こうなってくると、<ニナ>と<ミナ>も、

 そのほかも、どっちが正しいのか、わからなくなる。
 
 この例によって、<ニ>と<ミ>が入れかわることも、

 それほど、とんでもないことではないことが理解できたと思う。

 文字の上ではずいぶん違ってみえた、

 この神様の名が、

 本当はそれほど変っていないらしいことが判ったわけである。

 といっても一つの例外があったことを忘れることはできないが。

 例外とは⑦の葉木国野である。

 この<葉木>の二字はどうしても納得できない文字である。

 これに隠されている謎を解いてみよう。

 <ミ>と<ニ>の訛りが、方言で証明されたのだから、

 これも方言の中に答えがありそうである。

 まわりくどいことを言っていても無駄だから、

 タネあかしをすると、

 私のようにアイヌ語を知っているものには、

 はじめから少しも不思議ではなかったのである。

 葉はコム。木はニ。と、アイヌ語では発音する。

 リストの一番下を見て戴くとひと目で判るように、

 コムニはDEIに対応するもので、

 アイヌ語の<コムニ>と日本語の<クニノ>と

 二つが重なつたものなのである。

 ついでにお話ししておくと、

 アイヌ語ではコムニという熟語があって「カシの木」を意味する。

 この「カシの木」を古事記伝は「熊白樺(クマカシ)」という

 難かしい書き方をしているが、

 原文では久麻加志(クマカシ)とあるだけである。

 コムニがクマカシであるとすると、

 コムとクマが、さきのクモ、クミ、クムの同類で

 あるように見える。

 ここでも手数を省くために私の朝鮮語の知識をお役に立てると、

 熊はコムと発音するのである。

 すると、この三つのことばは、

 お互いに抜きさしのならない重要な関係にあることがわかる。

 アイヌ語のコムニが、

 朝鮮語の熊ということばを誘い出して倭語の熊カシを生んだか、

 倭語の熊カシが、朝鮮でコムの木と呼ばれ、

 それがアイヌ語に移ってコムニということばが生れたか、

 朝鮮でコムは熊、アイヌでコムは橿だったために、

 その双方の接触点「倭」ではカシの木を熊橿と呼んだか。

 いずれにしても、その一つが欠けても

 成立しないサークルを形成した言葉だったのである。

 それが、どこからどこへ、どう移ったかを追求するのは、

 もっと先のことである。

 ここでは、アイヌ語が、

 日本の神名に影響していても不思議ではない、

 という証明さえ得られれば良い。

 それは葉木という文字自身が日本とだけでなく、

 朝鮮とも切り離すことのできない交流があったことを

 立派に証拠立てたのである。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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