出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
65~69頁
次の表を見て頂きたい。
<D>の部分は<カ>と<ク>の違いにすぎず、
これは日本語では起りやすい訛(なま)りである。
集中的に変化が見られる部分は<E>の列である。
それだけをとり出して<JK>にローマ字で書いてみると、
これもまた<J>では<N>と<M>の違いにすぎないことがわかる。
「方言・アイヌ語・朝鮮語」
ABCDEFGHI JK
① 豊 国 主 トヨ クニ ヌシ NI
② 豊 組 野 トヨ クミ ノ MI
③ 豊 香 節 野 トヨ カ フシノ
④ 浮 経 野 ウカ フ ノ
④ 豊 買 トヨ カ(イ)(フ) I
⑤ 豊 国 野 トヨ クニ ノ NI
⑥ 豊 齧 野 トヨ クイ ノ I
トヨ カミ ノ MI
⑨ 豊 斟 野 トヨ クミ ノ MI
トヨ クム ノ MU
⑩ 豊 雲 野 トヨ クモ ノ MO
⑧ 国 見 野 クニ ミ ノ NI
クミ ノ MI
⑦ 葉 木 国 野 〔ハキ〕クニ ノ NI
11 葉 木(アイヌ読み)‘コム ニ’
12 (コム)=(朝鮮語の) ‘クマ ’(ノ)
13 (その意味は)日本語の カシ
<N>と<M>。は語尾に来た場合、「ン」になって
区別がつかないが、
語頭にあって区別がつかないことはあまりない。
現代の日本語では、<ナ>行と<マ>行が
ギッシリ言葉でつまっていて、あまり混乱はない。
しかし方言には、この二つが混乱しているものがある。
さきにお話しした朝鮮にあったのか、
逆に日本の中にあったのかと言う任那(ミマナ)も、
よく見て頂くと、本当は<ニンナ>とよむべき字であることが、
おわかりだと思う。
この<任>と同音の<壬>を使った有名な地名は、
新撰組の本拠があった壬生(ミブ)である。
虹と書いてニジとよむのは常識なのだが、
大分県から四国、和歌山、三重へかけてと、
島根県から京都、石川、富山の一部へ、
とびとびにではあるが「ミョージ」あるいは「ミュージ」と
発音する所がある。
蜷(ニナ)川というよく知られた姓があるが、
この蜷を、長崎、鹿児島、宮崎などでは、
ミナあるいはビナと発音する。
さらに南へ行くと、沖縄方言では蓑(ミノ)をンヌ。
味噌(ミソ)をンシュと発音する。
八丈島では「苦(ニガ)い」をミガイという。
大変な訛り方だと思うが、
私たちがふつうに使っている葱(ネギ)の仲間の韮(ニラ)は
正しい発音であろうか?
大言海には、古くは<ミラ>が正しかったと書いてある。
こうなってくると、<ニナ>と<ミナ>も、
そのほかも、どっちが正しいのか、わからなくなる。
この例によって、<ニ>と<ミ>が入れかわることも、
それほど、とんでもないことではないことが理解できたと思う。
文字の上ではずいぶん違ってみえた、
この神様の名が、
本当はそれほど変っていないらしいことが判ったわけである。
といっても一つの例外があったことを忘れることはできないが。
例外とは⑦の葉木国野である。
この<葉木>の二字はどうしても納得できない文字である。
これに隠されている謎を解いてみよう。
<ミ>と<ニ>の訛りが、方言で証明されたのだから、
これも方言の中に答えがありそうである。
まわりくどいことを言っていても無駄だから、
タネあかしをすると、
私のようにアイヌ語を知っているものには、
はじめから少しも不思議ではなかったのである。
葉はコム。木はニ。と、アイヌ語では発音する。
リストの一番下を見て戴くとひと目で判るように、
コムニはDEIに対応するもので、
アイヌ語の<コムニ>と日本語の<クニノ>と
二つが重なつたものなのである。
ついでにお話ししておくと、
アイヌ語ではコムニという熟語があって「カシの木」を意味する。
この「カシの木」を古事記伝は「熊白樺(クマカシ)」という
難かしい書き方をしているが、
原文では久麻加志(クマカシ)とあるだけである。
コムニがクマカシであるとすると、
コムとクマが、さきのクモ、クミ、クムの同類で
あるように見える。
ここでも手数を省くために私の朝鮮語の知識をお役に立てると、
熊はコムと発音するのである。
すると、この三つのことばは、
お互いに抜きさしのならない重要な関係にあることがわかる。
アイヌ語のコムニが、
朝鮮語の熊ということばを誘い出して倭語の熊カシを生んだか、
倭語の熊カシが、朝鮮でコムの木と呼ばれ、
それがアイヌ語に移ってコムニということばが生れたか、
朝鮮でコムは熊、アイヌでコムは橿だったために、
その双方の接触点「倭」ではカシの木を熊橿と呼んだか。
いずれにしても、その一つが欠けても
成立しないサークルを形成した言葉だったのである。
それが、どこからどこへ、どう移ったかを追求するのは、
もっと先のことである。
ここでは、アイヌ語が、
日本の神名に影響していても不思議ではない、
という証明さえ得られれば良い。
それは葉木という文字自身が日本とだけでなく、
朝鮮とも切り離すことのできない交流があったことを
立派に証拠立てたのである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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