2010年3月14日日曜日

山鉾の来た道

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

日本列島だけでなく、のちには朝鮮半島が高麗と呼ばれたことからみて、この人々がさらに発展北上していたことも間違いない。

この事実をさらに詳しく証明するのが24ペ-ジである。

そこでみていただいた通り高麗人とカレン人とは、その名も同じだったのである。
カレンはコーレアンすなわちインド語の宝貝人が元になって生まれた民族名であり、13世紀の沖縄には、まだ海上に出て活躍する貫頭衣の彼らの姿が見られたことを、20ページの絵は活写している。

彼らは採集して加工し、通貨になったものを、中国へ東南アジアヘと輸送する。

もどりにはその土地の物資を仕入れて船腹を満たす。

もちろんコーレイの名を生んだインド、ことに南海のスリランカとの交流もあり、カツオ節やコンニャクを運んだり、山鉾の神事を伝えたのも、彼らと彼らの交易相手であるインドの人々である。
55ページで見ていただいたインドの山鉾はプーリーのものであった。

沖縄ではフーリーという祭りをし、日本各地でも祭りの芸能を″風流″の当て字で呼ぶ。

これをブリューと発音するところもあるが、すべてプーリーの名の名残をとどめていて、そのルーツがどこであったかを証言している。

山鉾がどういうコースで日本にやってきたかが、その運び手と共に、はっきりわかったのである。

<写真>

●中国古代の貯貝器

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書




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