出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス
<日本人のルーツ>-その探求の一方法-
銅鼓の絵と同じく、屋根に鳥をのせた家が描かれた家屋文鏡は、これまで当時の日本の建築物を写生したものだとされてきた。
だが鏡は持ち運びの楽なものである。
それは東南アジアのどこかで作られて、日本まで持ってこられた可能性がある。
しかし、この場合もその東南アジアとのつながりはあったことになる。
鏡の製作地とは無関係に、人の交流があったことは立証される。
そのかわり、日本に東南アジア型の家があるとないとでは、移住者の数が大きく逢うことになる。
一面の軽い鏡は一人の人間が移住しても持ってこれるが、幾種類もの家々が立ち並ぶには、多くの人々の移住と繁栄が心要である。あの鏡は一体どこで作られた鏡なのだろうか?
この謎は解けない謎ではない。
鏡には4種類の建物の絵がある。
その様式は全部ちがう。
そのうちの一つはスラウエシのトラジャ族のものと同型に近い特別な形をしていた。
その正反対の側には宮崎県出土の埴輪そっくりの、寄せ棟の上にトラジャ型の屋根を二重にのせた特異な家が描かれている。
宮崎の埴輪の家屋はごく特殊なもので東南アジアでは見ることのできないものだ人このことから、この鏡は当時の日本でしか作れなかったものだと結論できる。
また銅の質や他の装飾文様、ことに矩形の中に※を描いたものと半円とが交互に配置された文様は国産鏡の特徴である。
あの鏡は間違いなく当時の日本列島で作られたものであり、そこには東南アジアからの移住者が住みついていたのである。
では宮崎の埴輪の家の形は何を意味するのだろうか。
寄せ棟造りで棟の上に逆三角に広がった飾りをつけるのは、写真のとおりインド家屋の特徴である。
それはまた土璧をぬって長方型の出入口をつける。家屋埴輪はこのタイプに完全に一致する。
宮崎ではインド型の三角石斧(75ページ)も出土している。
日向神話もシバ神に関連していた。
だからインド家屋があっても当然だが、埴輪では屋上にトラジャ型の切妻屋根を重ねている点を見逃す訳にいかない。
伊勢神宮の棟持柱がトラジャ建築の名残であるとすると、この謎は解ける。家屋埴輪はどうみても、トラジャとインド両型の折衷である。
これは両民族の合流と混血を象徴したものとみるほかない。
<写真>
●家屋文鏡(奈良県)
●家屋埴輪(宮崎県)
●家屋模型(インド)
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
0 件のコメント:
コメントを投稿