2010年3月24日水曜日

転写による混乱


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    46~49頁

 以上は、仮定であるが、『記・紀』の謎を解く上に、
 
 非常に重大な問題を左右する力を秘めた仮定である。

 これまでは欠史天皇は、日本の建国を、

 出来るだけ遠い時代にするために、

 年代を引き伸ばしたため生れた空間を、

 埋めるための架空の天皇だとされて来た。

 しかし、どうも、そうではないらしい。

 その欠史状態のおかしさは、

 『記・紀』ほどの文書を書くほどの著者達にわからなかったはずがない。

 それを押して創作の手を加えずに通した潔癖さは、架空説と相いれない。

 架空の天皇を作って、時代引き伸ばしをしたのなら、

 なぜ架空の歴史も作って、

 もっと本当らしくしなかったのか? 

 という疑いの方がはるかに強い。

 『記・紀』にみられる頼りなさは、

 単純に「いい加減な創作」の証拠と考えることはできない。

 反対に「信頼すべき伝承だけを書いた」証拠と考えられるのである。

 こうなっては仮説のままで、いい減にすますわけにはいかない。

 『記・紀』に取っ組んで、謎解きをすることに価値があるか、

 ないかが決まる正念場である。

 さきの仮説が正しいか、間違っているか、決定するものは何か。

 それを突きつめると、

 「資料が多いため、同一の人物、同一の事件が、

 別の人物や、別の事件に見える」

 ということである。

 その通りだということになれば仮説ではなく「正しい事実」だ、

 ということになる。

 間違っていた、ということが判れば、仮説は消滅してしまう。

 だが同一人物や同一事件が、まるで別のように見えるはど

 変るであろうか?

 当時の人々の実情がまるでわからない今、

 それを決めてくれるのは、やはり『記・紀』しかない。

 そこでもう一度詳しく見てみたいのは、

 さっき引用した日本書紀自身の、頼りなさの告白である。

 それは第19巻欽明天皇紀の始めにある。

 二年三月の項に、后妃皇子女について書き、

 続けて小さい字で一書云うとして

 皇子女の名や順序に違いのある例をあげたあとに

 次のように書いている。

 「複写:日本書紀欽明天皇紀二年春三月の割注原文」

          日埿部穴穂部皇子

       更名 天香子皇子

  一書云、 更名 住迹皇子
      其五曰 泊瀬部皇子

  一書云、其一曰 茨城皇子
      其二曰 埿部穴穂部皇女
      其三曰 埿部穴穂部皇子
       更名 住迹皇子
      其四曰 葛城皇子
      其五曰 泊瀬部皇子

  一書云、其一曰 茨城皇子
      其二曰 住迹皇子
      其三曰 埿部穴穂部皇女
      其四曰 埿部穴穂部皇子
       更名 天香子皇子
      其五曰 泊瀬部皇子

 「帝王本記多有古字、撰集之人、屢経遷易後人習讀、

  以意刊改、転写既多、遂致舛前後失次、

  兄弟参差、今則考覈古今、帰其眞正。一往難識者、

  且依一撰而注詳其異。他皆效此。」

 次春日日枛臣女曰糠子、生春日山田皇女與橘麻呂皇子。

 「帝王本記は古代の文字が沢山使ってあって難解であるが、

 次々に写して行く撰集者がまた度々変るために、

 どうしても主観的に自分の考えを混えて、

 これは間違っていると勝手に削ったり、

 勝手に文字を変えてしまったりして、だんだん混乱し、

 前後の順番も、つながりもわからず、

 兄弟がごっちゃになるなどしたものを、

 伝え写したものが多い。

 だから昔のことを書くのにも、もう一度今と昔との習慣の違いや、

 家系の真相を考慮して、できるだけ正したが、

 それでも判りにくいものは、

 一番適当と思われるものを一つ本文として書いたあと、

 違ったものを『一書いう』と書いて注に書いておくことにした。

 以後は一々この断り書きがなくても、同じことだと

 考えて貰いたい」。

 古い文字というのはどういうことを意味するか?

 それは当時すでに使われていなかった文字ということである。

 日本に古代文字があったかどうかで論争があるが、

 この古字は必ずしも日本の文字である必要はない。

 また漢字である必要もない。

 だが、天皇家を中心に書かれた帝王本紀というものがあって、

 それには、奈良時代初期、すでに読めな小文字が 

 使用してあったということを、

 軽く見過ごしてはならない。

 また、まがりなりにも、それが読めた時代が続き、

 その間に、筆者の主観の入った漢字に、

 書き写された、という事実も、

 はっきりと証明されたわけである。

 ということは、

 今われわれが求めていた答えが得られたということ。

 「同一人が、別人に分裂することがある」という証言が、

 その理由まで詳しくつけ加えられて、

 『日本書紀』の著者自身の手で、

 ここに提出されたのである。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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