2010年3月25日木曜日

書紀第1巻は欽明紀(1)

出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    50~51頁

その筆者を私が著者だ、というのは行き過ぎだ、と思う人のために、

その動かない理由を簡単にのべておこう。

(1) この注は細字で書かれており、本文ではない、

ということのために、

後世の人の書き入れだと考える人々に……

注はすべて細字で書かれる習慣が

お手本の中国の史書にあり、
『日本書紀』の注ばかりでなく

『古事記』も皆その習慣に従っている。

(2) この注では、一つを本文に用い、他を注にしるした。

とはっきり書いてある。

もし、この注を否定しようとすれば、

注の前にある本文も否定しなければならない。

(3) これが一番大切なことだが、

この注は、もっと大きな問題について証言しているのである。

それは、『日本書紀』は、

はじめから現在のような順序のものだったのではなく、
この注のある欽明天皇紀が

第1巻として書きはじめられたのだ、ということである。


「図:古代南アジアの文字」
百夷・甘提・八百・西都・扶南

「図:女真文字」
(加治木原図)

なぜなら、『日本書紀』だけでなく、

『古事記』にも沢山の注がある。

その中には、この注の一番あとに書かれた

「他は皆、此れに効(なら)え」と同じ書き方のものが沢山ある。

実例をあげてみよう。

『古事記』本文の第一行目「於高天原」の下に割り注で小さく

「訓高下天云阿麻下効此」と書いてある。

これは「高天原」という名に対するものであって、

「高の字の下の天の字はアマとよむ。

以下、これに効え」となる。

以下これにならえ、ということは、

この注は、一番はじめに出て来た「天」に対して、

書かれたことを証明している。

一番はじめであってこそ、以下これに効えで、すむのである。

もし、この注が、あとの方にあれば、

それ以前はでたらめに読まれることになる。

何のための注か解らないことになる。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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