出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
50~51頁
その筆者を私が著者だ、というのは行き過ぎだ、と思う人のために、
その動かない理由を簡単にのべておこう。
(1) この注は細字で書かれており、本文ではない、
ということのために、
後世の人の書き入れだと考える人々に……
注はすべて細字で書かれる習慣が
お手本の中国の史書にあり、
『日本書紀』の注ばかりでなく
『古事記』も皆その習慣に従っている。
(2) この注では、一つを本文に用い、他を注にしるした。
とはっきり書いてある。
もし、この注を否定しようとすれば、
注の前にある本文も否定しなければならない。
(3) これが一番大切なことだが、
この注は、もっと大きな問題について証言しているのである。
それは、『日本書紀』は、
はじめから現在のような順序のものだったのではなく、
この注のある欽明天皇紀が
第1巻として書きはじめられたのだ、ということである。
「図:古代南アジアの文字」
百夷・甘提・八百・西都・扶南
「図:女真文字」
(加治木原図)
なぜなら、『日本書紀』だけでなく、
『古事記』にも沢山の注がある。
その中には、この注の一番あとに書かれた
「他は皆、此れに効(なら)え」と同じ書き方のものが沢山ある。
実例をあげてみよう。
『古事記』本文の第一行目「於高天原」の下に割り注で小さく
「訓高下天云阿麻下効此」と書いてある。
これは「高天原」という名に対するものであって、
「高の字の下の天の字はアマとよむ。
以下、これに効え」となる。
以下これにならえ、ということは、
この注は、一番はじめに出て来た「天」に対して、
書かれたことを証明している。
一番はじめであってこそ、以下これに効えで、すむのである。
もし、この注が、あとの方にあれば、
それ以前はでたらめに読まれることになる。
何のための注か解らないことになる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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