2010年4月5日月曜日

古代日本に横書きがあった(3)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    127頁
 「倭は韓の東南大海の中に在り、山島に依りて居を為す。

  凡そ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、

  使駅漢に通ずる者、三十許国なり。」

 漢の武帝が在位したのは紀元前(B・C)140年から

 B・C 87年までの54年間であり、

 朝鮮を滅ぼしたのはB・C 108年であるから、

 倭の使いが朝質したり、

 往来したのは、それからあまり時の経たない頃と考えられる。

 最も、

 この後漢書は倭人伝で有名な三国志の中の魏書より後に書かれ、

 その文章も似ているので、

 魏書あるいは魏略を引用したのだとされているが、

 この武帝の朝鮮征服がキッカケで倭が

 使駅を通ずるようになったというのは魏書、

 魏略には見られないから、

 何か別の資料があったことも考えられ、

 デタラメとするわけには行かないと思うが、

 それは私の仕事ではないから、

 ここにはただ手がかりの一つとしてあげるに止める。

 同じ後漢書は、

 建武中元二年(紀元57年)に倭奴国の大夫が朝貢して

 光武帝から印綬を受けたことを記録し、

 さらに安帝の永初元年(紀元107年)にも

 帥升(スイサヌ)という

 倭国王が人間160人を献上したとある。

 「図:インドのサンスクリット文字」

    紀元前3世紀のもの

 「図:世界最古の法典碑文(ギリシャ)」

    紀元前7世紀のもので文章は

    右書きと左書きがまじっている。

    (クレータ島出土)

    サンスクリット古宇とそっくりであることに注意。


『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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