出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
127頁
「倭は韓の東南大海の中に在り、山島に依りて居を為す。
凡そ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、
使駅漢に通ずる者、三十許国なり。」
漢の武帝が在位したのは紀元前(B・C)140年から
B・C 87年までの54年間であり、
朝鮮を滅ぼしたのはB・C 108年であるから、
倭の使いが朝質したり、
往来したのは、それからあまり時の経たない頃と考えられる。
最も、
この後漢書は倭人伝で有名な三国志の中の魏書より後に書かれ、
その文章も似ているので、
魏書あるいは魏略を引用したのだとされているが、
この武帝の朝鮮征服がキッカケで倭が
使駅を通ずるようになったというのは魏書、
魏略には見られないから、
何か別の資料があったことも考えられ、
デタラメとするわけには行かないと思うが、
それは私の仕事ではないから、
ここにはただ手がかりの一つとしてあげるに止める。
同じ後漢書は、
建武中元二年(紀元57年)に倭奴国の大夫が朝貢して
光武帝から印綬を受けたことを記録し、
さらに安帝の永初元年(紀元107年)にも
帥升(スイサヌ)という
倭国王が人間160人を献上したとある。
「図:インドのサンスクリット文字」
紀元前3世紀のもの
「図:世界最古の法典碑文(ギリシャ)」
紀元前7世紀のもので文章は
右書きと左書きがまじっている。
(クレータ島出土)
サンスクリット古宇とそっくりであることに注意。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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