2010年4月13日火曜日

歴史の変身だった神話


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    171~176頁
 以上で『記・紀』の神代巻の真相がどんなものか、

 かなりはっきりしてきたと思う。

 もちろん、それはスサノオの命を中心にした、

 これまで出雲神話という名で呼ばれてきた部分であるが、

 それが単なる作り話でなく、実在の土地と、

 実在したと考えられる人物と、

 かなり濃厚に関係をもちはじめてきたからである。

 それはどうやら、品陀真若を通りこして、

 応神天皇とスサノオの命が同じではないかと

 思わせるところまできてしまった。

 だがはやまってはいけない。

 私たちはかなり冒険を覚悟で最短距離をとっている。

 とんでもない迷路に迷いこんでいないとはいえない。

 たとえばスサノオの命とヤマトタケルの命が同一人としても、

 応神天皇との間にも何か証拠があるであろうか?

 あるとすれば、

 これまで出雲神話とされていたものが、

 鹿児島神話だということになり、

 あの壮大な応神陵や仁徳陵を遺したとされる

 河内王朝と名づけられたものは

 一体どうなるのか?

 謎の規模は次第に大きくなるように見える。

 それを解き、確かめ、証拠で固めていくには、やはり地道に、

 もうだいぶ手馴れた人名復原と、

 系譜復原を静かに続けて行くのが最善の道である。

 急いで空中楼閣を築くことが私たちの目的なのではなかった。

 スサノオの命と、

 大国主以下の王子たち、また、

 スサノオの父に当る神々たちが、

 全部命の分身の名から成っていたことはすでに確認した。

 では品陀真若王と応神天皇の関係も、

 またそんなことになっているのであろうか?

 応神天皇の后妃と皇子女を、

 見やすいように母と子に分けて書いてみよう。


 (父)応神大皇

  母の父─(母)─皇子女の順

  品陀真若王──────高木之入姫───┬─額田大中日子命
                     ├─大山守命
                     ├─イザの真若命
                     ├─大原郎女(イラツメ)
                     └─高目郎女

  品陀真若王──────中日売命────┬─木之荒田郎女
                     ├─大雀命(仁徳天皇)
                     └─根鳥命

  品陀真若王──────弟日売命────┬─阿倍郎女
                     ├─阿具知能三腹郎女
                     ├─木之菟野郎女
                     └─三野郎女
 
  ワニの比布礼のオホミ──宮主矢河枝姫─┬─宇遅の和紀郎子(イラッコ)
                     ├─八田若郎女
                     └─女鳥王
  ワニの比布礼のオホミ──袁那弁郎女────宇遅之若郎女

  咋俣長日子王──────息長真若中姫───若沼毛二俣王


 桜井田部連之祖

      島垂根────糸井姫────ハヤブサ別命
         日向の泉の長姫──┬─大羽江王
                  ├─小羽江王
                  └─ハタ日の若郎女
    
            迦具漏姫──┬─川原田郎女
                  ├─玉郎女
                  ├─忍坂大中姫
                  ├─トホシ郎女
                  └─迦多避王
         葛城之野伊呂売────イザの真若王


 一番最後のイザの真若王がヒントになって、

 その母妃と、

 同名のイザの真若の母妃高木之入姫とが

 同一人であることの証明から、

 本書の手ほどきは始まったのだった。

 あの時は、まさか?

 という気がしていたと思う。

         <応神大皇の系譜>   <桜井田部連之祖>
           高木之入姫   =  葛城之野伊呂売


 今、再びその名を眼にすると懐かしさを

 覚えるのは私だけであろうか?

 ここへくるまでの間に、新しく開けた古代史の世界。

 それは、あれから、

 もう千年も経ったような錯覚さえ覚えさせる。

 遠い遠い昔のような……。

 前ページに書きならべた人々を見ながら、

 あなたはもう、

 同じ人物が名前を変えて次々に現れるのに気づかれたと思う。

 宮主矢河枝姫の名は、

 今ではもうお馴染みになってしまった宮主八箇耳であり、

 日向の泉の長姫も、たった今、出雲の語源である出水、

 すなわち黄の泉の長姫であり、

 もう一つ気づいた方には

 咋俣長日子とカワマタすなわち品陀真若が、

 逆さになったもの、

 例の左横書き、

 右横書きの混乱の主であったことを見抜かれたと思う。

 そして更にこれらの人々が、

 いずれもワカ、ナカ、ナガ、ヤカという

 共通部分をもっていることにも気づかれたと思う。

 もちろん、細部は違っている。

 そしてその細部が、また次の問題の手がかりになるのであるから、

 無視してしまってはいけないが、

 今は十のうち八~九まで同一人と見きわめのついた人々を、

 互いに重ね合せて比較するための手がかりが必要なだけであって、

 細部の問題は後にしなければいけない。


 「写真:応神天皇宗廟の門柱」

  応神天皇陵域内にある誉田八幡宮の門柱。(大阪府羽曳野市)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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