2010年4月28日水曜日

初めて神話と考古学が一致(4)

出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    216~222頁

 「朝鮮開化史2」

 通典

 「馬訾水(マシミズ)は、

  別名を鴨緑水(カモロキ、カモロミ)と名づける。

  源は白山から出て国内城の南を経、

  また西へ流れてもう一つの川とあう、塩難水(エナミ)である。


  そこで合流して西南、安平、アヒラ城に至り海に入る」、

 「鴨水は国内城を経て佟江に合流す。」

 通史

 「修家江は古代の塩難水なり」。

 問題は国内城である。

 コクナイ城とよむのは漢音であるから、

 日鮮共通の古書で国をコとしてコウチとよむと、

 成川

 (薩摩半島東南瑞の山川町にある)から西北に、

 川内という都市がある。

 これは今ではセンダイと中国式発音でよむが、

 古くコウチという地名があって、

 のちに当てられた当て字が、

 何かの理由で音読されることになったと考えることができる。

 この川内は地図で御覧の通り大河”川内川”の下流にある。

 この川が鴫緑水だとすると源は白山に発しているはずである。

 地図をたどって見ると熊本県東南端の

 「白髪岳(シラガダケ)」に行き当る。

 これは八ヵ岳(ヤツガタケ)や賤ヵ岳(シズガタケ)と同じく、

 白ヵ岳が本来の名で、<ガ>は<ノ>にあたる助詞であるから、

 ピッタリ白山に一致する。

 では国内(コウチ)城の西で合流する川があるか見てみよう。

 それは今、

 東郷という地名の部分で間違いなく合流する支流がある。

 この川は塩難水(イナミ)、修家(スカ)江、佟江(トウゴウ)という

 三つの名をもっている。

 修家はスカでクシナダ姫の名のりの一つ、

 スカの八耳の地名た一致し、

 佟江(トウゴウ)は、東郷と完全に一致するのである。

 (江は古音ではゴウ。島根県に江津ゴウツ市がある)。

 地図で見ると現在の川内市は、この東郷より西にあり、

 また川より南にあって国内城には合わない。

 これは「二水合流して西南」にあるという

 安平(アヒラ)城のあとに当るものと考える方が、

 より近いだろう。

 このアヒラの名は、現在大隅地方北部の郡名になっているし、

 吾平山陵や神武天皇妃の阿比良比売の名で

 鹿児島県とは切り離すことのできない名である。

 この安平城は、

 また新しい名と手がかりを一つ加える重要なものである。

 では国内城に当るのは何処か?

 それは川内市から東北へ直線距離で十六kmほど上流の

 宮之城(ミヤソジュ)しかない。

 ここでは川内川を挟んで南北に町が二分されており、

 城はその北半にあった可能性があること、

 その宮之城という名が王城にふさわしいからである。

 河内王朝は川内(センダイ)王朝であったのだ。

 「写真:川内川中流(宮之城附近)(川上正治撮影)」

 「鴨緑水」は戦前まで川魚が豊富だった。

 揺籃期の日鮮の稲作は、この川が育んだともいえる。


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

0 件のコメント:

コメントを投稿