出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
216~222頁
「朝鮮開化史2」
通典
「馬訾水(マシミズ)は、
別名を鴨緑水(カモロキ、カモロミ)と名づける。
源は白山から出て国内城の南を経、
また西へ流れてもう一つの川とあう、塩難水(エナミ)である。
そこで合流して西南、安平、アヒラ城に至り海に入る」、
「鴨水は国内城を経て佟江に合流す。」
通史
「修家江は古代の塩難水なり」。
問題は国内城である。
コクナイ城とよむのは漢音であるから、
日鮮共通の古書で国をコとしてコウチとよむと、
成川
(薩摩半島東南瑞の山川町にある)から西北に、
川内という都市がある。
これは今ではセンダイと中国式発音でよむが、
古くコウチという地名があって、
のちに当てられた当て字が、
何かの理由で音読されることになったと考えることができる。
この川内は地図で御覧の通り大河”川内川”の下流にある。
この川が鴫緑水だとすると源は白山に発しているはずである。
地図をたどって見ると熊本県東南端の
「白髪岳(シラガダケ)」に行き当る。
これは八ヵ岳(ヤツガタケ)や賤ヵ岳(シズガタケ)と同じく、
白ヵ岳が本来の名で、<ガ>は<ノ>にあたる助詞であるから、
ピッタリ白山に一致する。
では国内(コウチ)城の西で合流する川があるか見てみよう。
それは今、
東郷という地名の部分で間違いなく合流する支流がある。
この川は塩難水(イナミ)、修家(スカ)江、佟江(トウゴウ)という
三つの名をもっている。
修家はスカでクシナダ姫の名のりの一つ、
スカの八耳の地名た一致し、
佟江(トウゴウ)は、東郷と完全に一致するのである。
(江は古音ではゴウ。島根県に江津ゴウツ市がある)。
地図で見ると現在の川内市は、この東郷より西にあり、
また川より南にあって国内城には合わない。
これは「二水合流して西南」にあるという
安平(アヒラ)城のあとに当るものと考える方が、
より近いだろう。
このアヒラの名は、現在大隅地方北部の郡名になっているし、
吾平山陵や神武天皇妃の阿比良比売の名で
鹿児島県とは切り離すことのできない名である。
この安平城は、
また新しい名と手がかりを一つ加える重要なものである。
では国内城に当るのは何処か?
それは川内市から東北へ直線距離で十六kmほど上流の
宮之城(ミヤソジュ)しかない。
ここでは川内川を挟んで南北に町が二分されており、
城はその北半にあった可能性があること、
その宮之城という名が王城にふさわしいからである。
河内王朝は川内(センダイ)王朝であったのだ。
「写真:川内川中流(宮之城附近)(川上正治撮影)」
「鴨緑水」は戦前まで川魚が豊富だった。
揺籃期の日鮮の稲作は、この川が育んだともいえる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
0 件のコメント:
コメントを投稿