2010年4月29日木曜日

名前は証言する高朱蒙(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    226~230頁
 それは最後に残った卒本が解決してくれる。

 『日本書紀』の成務天皇五年の項に、

 「山の陰キタ(北)を背面ソツモ(背津オモ)という」とある。

 卒本もソツモとよめる。

 そこで宮之城と出水の関係を地図で御覧戴けば、

 出水がソツモの地勢に当ることがひと目でわかるのである。

 卒本または卒本扶余とは出水のことだったのである。

 この卒本はまたスモとも読める。

 これは朱蒙がスモと読めるのと完全に一致する。

 スモという地名を名のりにしていたから

 朱蒙という当て字が用いられたのである。

 「地図:出水に現存する朝鮮建国史の重要地名(加治木原図)」

 ① 自岳山(方忽山)┐
           ├鉾立山
     阿斯達   ┘

 ② 慰那巌…井之上

 ③ 大斧峴…大野原

 ④ 斧壌…大の川

 ⑤ 下大川内

 ⑥ 上大川内

 ⑦ 炭峴…炭頭

 ⑧ 慕本…武本

 ⑨ 柴原…柴引

 ⑩ 柴陵…紫尾山

 ⑪ 楊山…焼山

 ⑫ 金首露…上水流

 ⑬ 沸流江…┌古浜

 ⑭  (佟江)…└江内

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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