出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
226~230頁
それは最後に残った卒本が解決してくれる。
『日本書紀』の成務天皇五年の項に、
「山の陰キタ(北)を背面ソツモ(背津オモ)という」とある。
卒本もソツモとよめる。
そこで宮之城と出水の関係を地図で御覧戴けば、
出水がソツモの地勢に当ることがひと目でわかるのである。
卒本または卒本扶余とは出水のことだったのである。
この卒本はまたスモとも読める。
これは朱蒙がスモと読めるのと完全に一致する。
スモという地名を名のりにしていたから
朱蒙という当て字が用いられたのである。
「地図:出水に現存する朝鮮建国史の重要地名(加治木原図)」
① 自岳山(方忽山)┐
├鉾立山
阿斯達 ┘
② 慰那巌…井之上
③ 大斧峴…大野原
④ 斧壌…大の川
⑤ 下大川内
⑥ 上大川内
⑦ 炭峴…炭頭
⑧ 慕本…武本
⑨ 柴原…柴引
⑩ 柴陵…紫尾山
⑪ 楊山…焼山
⑫ 金首露…上水流
⑬ 沸流江…┌古浜
⑭ (佟江)…└江内
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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