2010年4月7日水曜日

系譜整理の手法


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    121~124頁
 出雲の神々は、

 実は同神の別名で大半を占められていることが明らかになった。

 ここでもう一度、私たちは何を目的に、

 そんな研究を始めたか、振り返ってみよう。

 それはスサノオの命と、

 品陀(ホムタ)真若王が同一人ではないか、

 ということからであった。

 神々が、ああも大量に分化している証拠を見ると、

 私たちの予測が実現する可能性が、

 次第に大きくなって行くのを感じるが、仕事はこれからである。

 どうすればいいだろう。



    1     2      3     4     5     6
 <スサノオ>-ヤシマジヌミ-フハノモジ-フカヤフチノ-オミヅヌ-アメノ-「大国主」
               クヌスヌ  ミズヤレハナ      フュギヌ

    1     2      3     4     5     6
 <スサノオ>-大 国 主 -トリナルミ-クニオシトミ-ツラミカノ-ミカヌシヒコ
                            タケサ
                            ハヤジヌミ
 
    1     2      3     4     5
  タヒリキ - ミロナミ-ヌノオシトミ-アメノヒバラ-トホツヤマ
  シマミ         トリナルミ  オホシナドミ サキタラシ


 まずしなければならないことは系譜の整理である。

 同一神は一つにまとめて、

 本当の形がどぅなるかを見なければならない。

 これは誰でも気づくことである。

 しかし、そのまえに、もう一つしておいた方が良い仕事がある。

 それはスサノオの命と大国主の命が二カ所に出て来た部分で、

 系譜を切り離して、重ね合せてみることである。

 そうすると、この二系譜が真実のものであれば、

 双方がピッタリ重なり合うはずである。

 紛らわしさを避けるために男神だけを比較してみよう。

 スサノオはあとまわにして、大国主とヤシマジヌミは、

 さきに、八千矛と八島が一致することは見たから、

 3から行こう。鳥鳴海は全く一緒だから、

 布波能母遅久奴須奴と

 布忍宮島鳴海

 である。

 布波能と布忍が一緒になるか? 

 後者は布忍(ヌノシ)である。

 前者の能を同じノである之におきかえると布

 波之(フナシ)になる。

 ナとノは奴であったのである。

 4は深淵水夜礼花。

 この深淵はウカムチ字迦貴を表わす当て字だから取っておいて、

 水夜礼花と日腹大料を照合してみよう。

 これは夜の竿を晩(バン)バの字に当てている。

 美夜礼(ビバラ)となる。

 礼は仏教語でライとよむことは御存知だと思う。

 花(カ)と科(カ)が同音なこともお判りの通りである。

 次は国忍富と比べでみよう。

 大科度美(オシトミ)である。

 5 これは、

   一字目が連という説と速という説があってはっきりしない。

 速甕多気佐波夜遅奴美と遠津山岬多良斯と淤美豆奴を比較すると、

 遠(オ)と淤(オ)の音から、これは連や速ではなく、

 遠の字であったと考えられる。

 遠津をトオツと読ませるために、

 わざわざ甕(オウ)の字を間に入れて

 遠甕都(トオツ)と書いた都が多に変身している。

 次の山岬と気佐波夜は殊に面白い。

 ヤマノサキとキサナミヤが逆になっていることは

 一見しておわかりになると思う。

 どちらが本当かは、ここでは追究しないが、

 『記・紀』の神名や人名は、

 幾つも、こうした逆さになったものが実在する。


              遠
              ┃
          淤×速×連遠(ト)遠
               意(オ)
               /
          美─美 甕
            加
          豆─都─多─都─津
             1気   夜4
             2佐   馬3
             3波   佐2
             4夜   気1
              遅   多
          奴───奴 王 良
              美   斯  


 それは品陀真若に直接関係があるから、

 系譜比較はこれまでにして、そちらに移ってみよう。

 ホムタマワカを逆に読んでみると、カワマタムホになる。

 これでは意味をなさないが、

 陀を都の換え字と考えるとカワマト品になる。

 品という字を草書で書くと<品の草書>となり

 不の草書と非常に似ている。

 そこで不におきかえてみると

 カワマトフ(皮纏ふ=皮製の衣服を着た)となる。

 『魏書倭人章』のある魏志には馬韓の西海中の大島に

 「革を衣る。その衣は上衣だけだから裸に近い。

  牛やブタを飼っている」

 という州胡が住んでいる記事があり、

 また奈良時代に書かれた肥前風土記には、

 景行天皇時代のとととして、

 値嘉(チカ)島(多分長崎県の五島)に牛馬を沢山飼っている

 言語風俗の異った海人族が居たことが詳しく出ている。

 この両者は地理的にも近いと考えられる上に、

 応神天皇妃の髪長媛(ヒメ)の一族は

 角のついた鹿皮の衣服を着ていた、と

 『日本書紀』に明記してあるから、当時の風俗として、

 別に不思議ではない。

 綏靖天皇々后の河俣毘売(川派媛)。

 懿徳天皇々后の賦登麻和詞比売等

 いずれも同様の名の持ち主である。

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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