2010年4月1日木曜日

神話と歴史をつなぐ人物(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    83~85頁

 系譜もまた『古事記』には詳細に出ている。

 その系譜にざっと目を通して面白いことに気がついた。

 それは、命が、大山津見の神の娘「神大市比売」と結婚し、

 命の子、

 八島士奴美の神もまた大山津見の娘

 「木花知流(コのハナチル)比売」と結婚していることである。

 大山津見の娘は天孫降臨の主人公、ニニギの命とも結婚している、

 有名な「木花佐久夜(コのハナサクヤ)毘売」である。

 これは現代人の常識なら、スサノオの命と、

 ニニギの命は義兄弟ということになる。

 スサノオの命と天照大神との間に生れた

 天忍穂耳(アメのオシホミミ)の命の子が

 ニニギの命であるから、二人は祖父と孫でもある。

 それが同じ姉妹と結婚したのであるから、

 当然互いに行き来がありそうなものなのに、

 この二人は出雲族と天孫族に分れてしまい、

 時代も隔絶して、全く無関係なのである。

 どうやら、ここでも分裂現象が起っているような予感がする。

 どんな考え方をしても、5代も前のおバアさんと、

 結婚することはあり得ない。

 これはあれこれ考えるより、

 系譜に間違いがあると考えるほかない。

 そもそものはじめスサノオの命とその子ヤシマジヌミの妃が

 共に

 オホヤマツミの子であることからして、おかしかったのである。

 「写真:応神天皇誉田陵賠冢出土品」

 大阪府羽曳野市の丸山古墳から1848年に発掘されたもので、

 写真のものは金銅透彫の鞍の装飾金具であり43.3cm(国宝)。

 このほか鞍部品や鹿角装の刀や鎧 鉄鍬等の残欠が現存。

 「古墳:森浩一」>

 誉田山古墳では、陪冢の丸山古墳から金銅装の見事な馬具が

 江戸時代に発掘されていて、

 誉田神社に伝えられている。

 前期古墳から馬具が出土した例はないから、

 誉田山古墳の時期から乗馬に関する遺物が急に現れる。

 スサノオの命の系譜

 (見やすかようにカナ書きとし、尊称は省略する。

  よみ方は仮りのもので、原典をあとで引用して補う)。
     
 イザナギ┐┌ヒルコ 
     ├┼アハシマ          (オホクニヌシ)┐
 イザナミ┘├オオヒルメ┐               ├アヂスキタカヒコネ
      ├ツキヨミ ├──────────タキリヒメ┘
      │   ┌─┘         ├タキツヒメ
      └「スサノオ」────────┐└イチキシマヒメ
         └──────────┐│
                    ├─ヤシマジヌミ┐
 オホヤマツミ┬アシナヅチ─クシナダヒメ┘├オホトシ  │
       ├カムオホチヒメ──────┴ウカノミタマ│
       ├コノハナサクヤヒメ┐          │
       │  ニニギノミコト┘          ├フハノモヂクヌスヌ┐
       └────────────コノハナチルヒメ┘         │
                                      ├
                             オカミ─ヒカハヒメ┘

 フハノモヂクヌスヌ┐   アメノツドヘチネ┐
          │           ├オミヅヌ┐ 
          ├─フカヤチノミズヤレ─┘    ├アメノフユギヌ
 オカミ─ヒカハヒメ┘            フテミミ┘



 「前ページより」

 オミヅヌ┐
     ├アメノフユギヌ───┐
 フテミミ┘          ├(オホクニヌシ)
 サシクニオホ─サシクニワカヒメ┘│ │ │
                 │ │ │
                 │ │ │
         カムヤタテヒメ─┼─┴─┼─ヤヘコトロヌシ
                 │   │
    「スサノオ」─タキリヒメ─┼───┴┬アヂスキタカヒコネ 
                 │    └タカヒメ
      ヤシムムヂ─トリトリ─┴─────トリナルミ─クニオシトミ


 (オホクニヌシ)6代あとの大国主と、タキリヒメが結婚したことになっている。

 (注)よみは武田祐吉著「古事記」(角川文庫)による。



『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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