2010年4月15日木曜日

スサノオ神話の故郷(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    181~184頁

 もう、あなたの興味は、本当の出雲であった鹿児島県の、

 どの川がとの川に当るのであろうとか、

 八岐の大蛇と呼ばれたものの正体は何だろうとか、

 いう現実の歴史としての謎の解明に、

 心が飛んで行っているのではなかろうか。

 確かに人々の名が重なり合い、互いに証明し合って虚飾を去り、

 本物の系譜が姿をあらわすのを見る時、

 神話が現実の歴史に変身する素晴らしさを、ひしひしと感じる。

 しかし、私は、その現実よりも、さらに真実なものを、

 あなたに御覧に入れなければならない。

 それはスサノオ神話の真相である。

 「阿遅鉏皇子は海岸に上陸すると奥地へむかった。

  一軒の家があって、悲しみに満ちた泣声が聞えてくる。

  皇子は何事かと家の中をのぞくと、

  美しい少女を中に挟んで老夫婦が泣いているのであった。

  皇子が嘆きの理由をたずねると、考夫婦は次のように答えた。

  『此の国の王は少女を殺して喰べる悪王で、

  この子の番が来たのです。

  いよいよ今夜が最後の夜なので、それで泣いていたのです。

  皇子様、何とかしてお救い下さい。』

  じっと考えていた阿遅鉏皇子は、

  やがて

  『よろしい、助けてあげよう、

   安心しなさい』というと、老夫婦に仕度を命じた。」

 私がなぜこんなお話を、念いりに、しているか、

 おわかりになるであろうか?

 主人公の名が、スサノオの命でなく、その別名の一つ、

 阿遅鉏高日子根になっているからであろうか?

 それとも八岐の大蛇が、

 悪王という表現になっているからであろうか?。

 私の本当の目的は、そんな問題であなたを、

 わずらわそうというのではない。

 私が申しあげたいのは、前の話は、何から何まで、

 もちろん阿遅鉏という名前まで、

 日本のものではなく、インドネシアに古くから伝わる伝説の、

 始めの部分なのだ、ということである。

 もちろん、その国では漢字で阿遅鉏皇子と書いたりはしない。

 しかし、

 主人公は間違いなくアジサカ王子という名をもっているのである。

 日本ではこれまで、阿遅鉏と書いてアジスキ、

 またはアチスキと読んできた。

 しかし<鉏>という字は、もともとサカとよまれている。

 神功紀にも鉏(サカ)の水門という名が、

 佐賀の当て字として登場する。

 王子を皇子と書いたことを除けば、私に作為はない。

 私が今さら言うまでもなく、

 この物語りは完全に八岐の大蛇退治と対応するものである。

 島根県での出来事のように語られて来た物語りが、

 鹿児島県の話だといった舌の根が乾かないうちに、

 もうインドネシアの話だというのか、

 と変にお思いの方もあるかもしれない。

 しかし私は、八岐の大蛇のお話が、

 インドネシアからの輸入品だということを証明するために、

 わざわざ、もってまわったお話しをしているわけではない。

 これまでの神話学は、そういう、やり方であったが、

 その間違いを証明してみようというのである。

 なぜなら、神話を分類して、その分布圏をしらべ、

 何々神話は南方から渡って来た、

 という説明だけで終る神話学は、

 すでに遠い過去のものであるばかりでなく、

 そういう半端な仕事が、

 今まで日本神話の解明を邪魔してきた罪の大きさを、

 ひしひしと思わざるを得ないからである。


 「地図:スサノオ型神話の分布(アジア東部)」

 ① インドネシア   ⑦ ギリヤーク

 ② ボルネオ     ⑧ 蒙古

 ③ フィリピン    ⑨ カンボジア

 ④ 日本       ⑩ ラオス

 ⑤ 朝鮮       ⑪ 福建

 ⑥ アイヌ      ⑫ 浙江


『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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