2010年4月26日月曜日

初めて神話と考古学が一致(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    216~222頁
 しかし心配が一つある。

 二千年も前の地名が、

 今まで何らかの形で残っていてくれるであろうか?

 ということだ。

 ともかくやってみよう。

 沢山の朝鮮文献の中から必要な部分だけを

 ダイジェストしてみよう。
 
 『東国輿地勝覧』

 「成川府はもと沸流王松譲の旧都。

  東明王(朱蒙のこと)北扶余より来りて卒本川に都す。

 (中略)又云う沸流江は成川府の西北にあり」。

 「地図:高句麗古都侯補地」

 1 卒本候補地

 2 国内城侯補地

 3 丸都候補地


 「写真:初期支石墓の巨石(鹿児島県成川遺跡)」

     昭和33年発掘当時の状態。

     板石を使ったものの他、甕棺があり、他は土葬であった。 
     (加治木原図)

 「写真:現在の成川遺跡(1970年)」

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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