2010年4月23日金曜日

沖縄こそオキノ島


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    205~207頁
 私たちはここに、不知火の<シラ>と、
         福岡の<シラ>と、
         朝鮮半島の<シラ>

 と、<シラ>が三つあるという事実に直面する。

 このうち、<イナバ>に相当する土地は、

 不知火海に面したものだけしかない。

 そこはさらに出水という出雲の語源をもった土地でもあった。

 しかしそれでもまだ不充分である。

 そこには気多之前(ケタのサキ)という岬がなければならない。

 これはもう易しい問題である。

 気は黄泉国の黄で、多は都と書けば黄都之(キツノ)、または木津之である。

 すると、応神天皇、実はスサノオの命の皇女に、

 木(キ)之菟(ツ)野(ノ)郎女という名があったことを思い出す。

 それは反射的にクシキノという地名が、

 この葦原中つ国の中央部の海岸にあったことを思い出させる。

 クシナダヒメのクシ。それが木野の上に櫛状に乗っているのは、

 いかにも出雲神話の故郷にふさわしい。

 櫛気多が串木野と当て字が変っていただけなのである。


 さて、この場合も結局出雲神話の例外でなく鹿児島県が、舞台だったとなると、

 いよいよ隠岐の島からでは、おかしなコースになってしまう。

 玄海灘にも沖之島があるが、無人島のような島では、倭人王や人質が居た大国にまるで合わない。

 三ツ子という点でもポッンと一つの孤島ではない。

 さらには、これらの島々からでは、上陸後は陸行の方が合理的で、しかも長距離になってしまう。

 ではその島は一体どこにあるのであろうか?。

 琉球をみてみよう。

 最も沖であるところの先島諸島を見ると、目立つ大島(だいとう)は丁度三つある。

 次にとんで沖縄本島と徳之島、奄美大島を結ぶと、これも三ツ子島といえないことはない。

 また三子を巫女(ミコ)とすると、沖縄本島の宗俗ともピッタリ一致する。


 「地図:川内川を中心にみた鹿児島県西部」


  水俣・阿久根・出水・大口・宮之城・川内・串木野・鹿児島


  霧島山塊・▲韓国見岳・▲高千穂峰

 では名前を比べてみよう。

 沖縄をオキナワとよむのは、その文字に支配されるからで、

 地元の人々が発音する正しい呼び名は「ウチナ」である。

 <ウ>と<オ>、<チ>と<キ>、<ナ>と<ノ>という沖縄方言の訛りを、

 内地弁の発音に翻訳してみると、「オキノ」と一字違わずピッタリ合う。

 淤岐嶋は内奴島であり、沖縄島であったわけである。

 最初は恐らくドキリとなさった方もあったと思う。

 日本専売の神話が新羅王が主人公であったとは!と。

 しかし、それでは、出雲神話中に、それがあることの意義が消失してしまう。

 それに向うからこちらへ渡って来た書き方になっているから、

 やはり筆者は朝鮮人だったか!と早合点なさった方もあったのではなかろうか。

 そうした気持が起ったのは全て先入感のイタヅラなのである。

 新羅とは朝鮮半島の国だ、という先入感がいつの間にか、

 これまでに滲み込んでしまっていたのである。

 しかし新羅と書こうが、白と書こうが、それらは当て字にすぎなかった。

 ついでに言えば、表題には<シラ>に対して素という字を使い素菟(シロウサギ)と読ませていた。

 もちろん『古事記』には全部この素と書いてある。素は本来<ソ>である。

 <ソ>とは襲という字を書けばすぐわかるように、やはり鹿児島県の古名だったのである。

 この襲が鹿児島県で、素と書けば何のことかわからなくなるというのも、
 やはり先入感が邪魔をしていたのである。

 <ソ>は曾と書かれたり衣と書かれたりしている。

 そのことを知りながら、やはり仲々気づかないものであるという事実に、気づいて戴きたい。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

0 件のコメント:

コメントを投稿