出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
205~207頁
私たちはここに、不知火の<シラ>と、
福岡の<シラ>と、
朝鮮半島の<シラ>
と、<シラ>が三つあるという事実に直面する。
このうち、<イナバ>に相当する土地は、
不知火海に面したものだけしかない。
そこはさらに出水という出雲の語源をもった土地でもあった。
しかしそれでもまだ不充分である。
そこには気多之前(ケタのサキ)という岬がなければならない。
これはもう易しい問題である。
気は黄泉国の黄で、多は都と書けば黄都之(キツノ)、または木津之である。
すると、応神天皇、実はスサノオの命の皇女に、
木(キ)之菟(ツ)野(ノ)郎女という名があったことを思い出す。
それは反射的にクシキノという地名が、
この葦原中つ国の中央部の海岸にあったことを思い出させる。
クシナダヒメのクシ。それが木野の上に櫛状に乗っているのは、
いかにも出雲神話の故郷にふさわしい。
櫛気多が串木野と当て字が変っていただけなのである。
さて、この場合も結局出雲神話の例外でなく鹿児島県が、舞台だったとなると、
いよいよ隠岐の島からでは、おかしなコースになってしまう。
玄海灘にも沖之島があるが、無人島のような島では、倭人王や人質が居た大国にまるで合わない。
三ツ子という点でもポッンと一つの孤島ではない。
さらには、これらの島々からでは、上陸後は陸行の方が合理的で、しかも長距離になってしまう。
ではその島は一体どこにあるのであろうか?。
琉球をみてみよう。
最も沖であるところの先島諸島を見ると、目立つ大島(だいとう)は丁度三つある。
次にとんで沖縄本島と徳之島、奄美大島を結ぶと、これも三ツ子島といえないことはない。
また三子を巫女(ミコ)とすると、沖縄本島の宗俗ともピッタリ一致する。
「地図:川内川を中心にみた鹿児島県西部」
水俣・阿久根・出水・大口・宮之城・川内・串木野・鹿児島
霧島山塊・▲韓国見岳・▲高千穂峰
では名前を比べてみよう。
沖縄をオキナワとよむのは、その文字に支配されるからで、
地元の人々が発音する正しい呼び名は「ウチナ」である。
<ウ>と<オ>、<チ>と<キ>、<ナ>と<ノ>という沖縄方言の訛りを、
内地弁の発音に翻訳してみると、「オキノ」と一字違わずピッタリ合う。
淤岐嶋は内奴島であり、沖縄島であったわけである。
最初は恐らくドキリとなさった方もあったと思う。
日本専売の神話が新羅王が主人公であったとは!と。
しかし、それでは、出雲神話中に、それがあることの意義が消失してしまう。
それに向うからこちらへ渡って来た書き方になっているから、
やはり筆者は朝鮮人だったか!と早合点なさった方もあったのではなかろうか。
そうした気持が起ったのは全て先入感のイタヅラなのである。
新羅とは朝鮮半島の国だ、という先入感がいつの間にか、
これまでに滲み込んでしまっていたのである。
しかし新羅と書こうが、白と書こうが、それらは当て字にすぎなかった。
ついでに言えば、表題には<シラ>に対して素という字を使い素菟(シロウサギ)と読ませていた。
もちろん『古事記』には全部この素と書いてある。素は本来<ソ>である。
<ソ>とは襲という字を書けばすぐわかるように、やはり鹿児島県の古名だったのである。
この襲が鹿児島県で、素と書けば何のことかわからなくなるというのも、
やはり先入感が邪魔をしていたのである。
<ソ>は曾と書かれたり衣と書かれたりしている。
そのことを知りながら、やはり仲々気づかないものであるという事実に、気づいて戴きたい。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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