2010年4月8日木曜日

五十猛と八上姫


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    143~147頁

 大蛇退治神話の主体は、登場人物である。

 その人々の名は何を私たちに伝えているのか、

 まずそれから確認してみよう。

 <アシナツチ>、<タナツチ>と<アシナツタナツ>という名は

 互いに二人だ、

 いや一人だと争っている。

 これを<イナタミヤヌシ>と比べてみると、

 <ナタ>と<ナツ>が「名都」で同音である。

 すると<アシ>と<イ>に読める文字「葦」でツとタまでは解決する。

 そこで<イナタミヤヌシ>と>クシイナタ>を比べると

 <ミヤヌシ>と<クシ>が残った部分である。

 宮主(クシ)と書くと、この両方に読めることがわかる。

 クシは櫛、奇、久志と様々に書かれてきたが、

 宮主という書き方もあったのである。

 次に<スサノヤカミミ>を考えてみよう。

 スサノはスサノオと同じで、スサの<王>

 (または<男>)に対する

 スサの「ヤカミミ」であると仮定すると、

 この人物は女性であるとする一書が正しいのかも知れない。

 スサノオと大国主が同神異名である証明は成立していをから、

 このヤカミまでは、

 大国主神話に出てくる八上姫の八上であることは間違いない。

 同名の恋人が幾人もいたのなら、

 その二人いたという特異な事情から、

 いろいろ行き違いが生じたりする面白い話が特記されたのだが、

 それがない。

 とすると、<ミ>が一字残ることになる。

 八箇耳と書いて<ヤカミ>と読むのだとして終えばそれまでだが、

 この<耳>は、従来謎のままで、

 一種の称号と考えられてきたものだから、

 ここで謎ときをしておこう。

 それは耳と姫を比べてみると

 微々(ミミ)、微(ヒ)微(メ)と読めることがヒントになる。

 耳と姫は朝鮮語ではどちらも<キ>に近い発音である。

 とすると、

 さきに見た神名の中にもキという語尾を持ったものが、

 かなりあり、

 それは岐、伎、貴、城、木、などと書かれていたが、

 この<アシナツチ>の父<オオヤマツミ>も、

 漢字で書けば大山祇(キ)となり、

 やはり<キ>または<ギ。の語尾を持っている。

 さらに面白いのは、この<キ>の発音が、

 沖縄方言では<チ>になることである。

 <チ。もまた知、智、地と書かれて

 『記・紀』に多出する語である。

 それを活用すると、

 さきに<アシナツ>まで解決して残っでいた<チ>は、

 これらの耳、姫、貴、祇であったことになる。

 葦名都祇である。

 はじめに葉木国でアイヌ語を導入すると解けたのと同じことが、

 ここにもあったのである。

 日本の神々は、

 日本以外の「天(アメ)」からやってきたことを百も承知の方々が、

 なぜこれまで、

 こんな簡単な感じのものを謎のままで置いたのか理解に苦しむ。

 頭が固かったのかも知れない。

 ではもう一つ残った<タナツチ>を片附けてしまおう。

 <チ>は祇として除外すると、<タナツ>である。

 <ツ>もおそらく<アシナツチ>と同じく都祇とつながり

 ○○<の>祇という<ツ>であると

 思われるので<タナ>に重点を置くと、

 垂仁紀二十三年十月の項に、

 鳥取の造(ミヤツコ)の祖で天の湯河板挙という人物があり、

 イサナキの命が天照大神に賜わった

 頸飾(くびかざ)りの珠も御倉板挙と書かれて、

 どちらも板拳を<タナ>とよむ。

 この文字を<タナ>とよむのは多分、棚を意味するのであろうが、

 もう少し素直に読むと、<イタアゲル>になる。

 縮めると<イタケル>となり、

 スサノオの御子「五(イ)十猛(タケル)の命」と一致する。

 これまで<テナヅチ>手名椎とよんでいて老婆を

 連想していた方々には思いもよらない真相が、

 ここにもある。

 私がだまって<タナツチ>と書いていたことに、

 不満だった方もあったのではないかと思うが、

 手は古くは<テ>よりも<タ>と発音するほうが多かったのである。

 このことで女性とするほうが間違っていたことは明らかになった。

 とすれば、そんなに男性は幾人も登場しないから、

 やはり一書の父は<アシナヅタナヅ>、

 母は稲田宮王スサの八箇耳が正しかったことになる。

 父の名をわかりやすく復原すると、

 葦名五十猛だったのが、様々に変化したのである。

 これで男性名は確定したが、女性がまだである。

 葦名都宮主スサの八上姫と一まとめにすると、

 八上姫は稲羽の八上姫と呼ばれていることに思い当る。

 葦名はやはり地名とみるべきものである。

 スサも地名にスサがあるし、スサの王の妻と考えても、

 やはり語源は地名となるから、

 これはイナの国の宮主(コシ)で、

 スサノオ妃の八上姫と考えるのが一番納得がいく。

 二人には分けにくい。

 ということは女性は一人だったものが、

 名前の混乱によって二人と考えられ、

 分化して老婆と娘になったのであって、

 やはり神名と同じく進化した形をもった話が

 『古事記』に記録され、

 紀の一書のほうは、その原型を止めて女性一人とし、

 子供はあとで生れてからスサノオ妃になったのだ、

 という段階のものを記録したと考えられる。

 が、仮説のままでおいて、

 ここで、神名や人名が地名と、どんな関係にあるかを、

 今少しくわしく見ておきたい。

 これらの名が漢字を仲介として生まれたことは疑う余地がない、

 これまで日本には『古事記』以前は文字がなかったため

 記録がなかったと信じられていたが、

 これらの神や人の名が漢字なしでは生れる可能性のないことが

 証明できた今は、

 少くとも神代記に登場する神々は漢字によって、

 しだいに変化して分裂して行ったこと、

 だから文字があり、記録もあった、という事実が明白にできた。

 古代史は新しい出発点に立ったのだ。


 「五十猛と八上姫」

  (1)       櫛─名田──────姫
         ┌─┐         │
         ク シ ナタ      │ 
          ┌─┐        │
         クシ イナタ      キ
            └┬┘      │
      ┌──────┘       │
     ┌─┐             │
  (2) イナタ─宮主─スサ之八箇    耳
     │││             │
     │││             キ
     │││             │
  (3) 葦名都───(足  名稚)────チ
     │││ ク  │    ││     │ 
         ││部 │ ┌┐  ││         キ
     │││ │ タリ  ││         │
     │││ 勾 │   ││         耳
  (4) │││ │ (手    名稚)       ┌┐
     ││倍 │ │   │          ミミ
     │││ │ タ   ナ          ││
     │││ │ │   │          │耳
     │││ │ │   │          ││
     イナバ コ シ   │          │キ
     └┘│  │  │   │        カミ│
      │ │ │ │   │        └┘│
   (5)   稲 葉─古 志   │──之八 上 姫
           │   │
  (6)───────板   挙
                     ┌┐ ┌─┐
                    イタ アゲル
            └─┘
           イ  タ ケル
             └──┘
  (7)────── 五  十 猛




『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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