出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
143~147頁
大蛇退治神話の主体は、登場人物である。
その人々の名は何を私たちに伝えているのか、
まずそれから確認してみよう。
<アシナツチ>、<タナツチ>と<アシナツタナツ>という名は
互いに二人だ、
いや一人だと争っている。
これを<イナタミヤヌシ>と比べてみると、
<ナタ>と<ナツ>が「名都」で同音である。
すると<アシ>と<イ>に読める文字「葦」でツとタまでは解決する。
そこで<イナタミヤヌシ>と>クシイナタ>を比べると
<ミヤヌシ>と<クシ>が残った部分である。
宮主(クシ)と書くと、この両方に読めることがわかる。
クシは櫛、奇、久志と様々に書かれてきたが、
宮主という書き方もあったのである。
次に<スサノヤカミミ>を考えてみよう。
スサノはスサノオと同じで、スサの<王>
(または<男>)に対する
スサの「ヤカミミ」であると仮定すると、
この人物は女性であるとする一書が正しいのかも知れない。
スサノオと大国主が同神異名である証明は成立していをから、
このヤカミまでは、
大国主神話に出てくる八上姫の八上であることは間違いない。
同名の恋人が幾人もいたのなら、
その二人いたという特異な事情から、
いろいろ行き違いが生じたりする面白い話が特記されたのだが、
それがない。
とすると、<ミ>が一字残ることになる。
八箇耳と書いて<ヤカミ>と読むのだとして終えばそれまでだが、
この<耳>は、従来謎のままで、
一種の称号と考えられてきたものだから、
ここで謎ときをしておこう。
それは耳と姫を比べてみると
微々(ミミ)、微(ヒ)微(メ)と読めることがヒントになる。
耳と姫は朝鮮語ではどちらも<キ>に近い発音である。
とすると、
さきに見た神名の中にもキという語尾を持ったものが、
かなりあり、
それは岐、伎、貴、城、木、などと書かれていたが、
この<アシナツチ>の父<オオヤマツミ>も、
漢字で書けば大山祇(キ)となり、
やはり<キ>または<ギ。の語尾を持っている。
さらに面白いのは、この<キ>の発音が、
沖縄方言では<チ>になることである。
<チ。もまた知、智、地と書かれて
『記・紀』に多出する語である。
それを活用すると、
さきに<アシナツ>まで解決して残っでいた<チ>は、
これらの耳、姫、貴、祇であったことになる。
葦名都祇である。
はじめに葉木国でアイヌ語を導入すると解けたのと同じことが、
ここにもあったのである。
日本の神々は、
日本以外の「天(アメ)」からやってきたことを百も承知の方々が、
なぜこれまで、
こんな簡単な感じのものを謎のままで置いたのか理解に苦しむ。
頭が固かったのかも知れない。
ではもう一つ残った<タナツチ>を片附けてしまおう。
<チ>は祇として除外すると、<タナツ>である。
<ツ>もおそらく<アシナツチ>と同じく都祇とつながり
○○<の>祇という<ツ>であると
思われるので<タナ>に重点を置くと、
垂仁紀二十三年十月の項に、
鳥取の造(ミヤツコ)の祖で天の湯河板挙という人物があり、
イサナキの命が天照大神に賜わった
頸飾(くびかざ)りの珠も御倉板挙と書かれて、
どちらも板拳を<タナ>とよむ。
この文字を<タナ>とよむのは多分、棚を意味するのであろうが、
もう少し素直に読むと、<イタアゲル>になる。
縮めると<イタケル>となり、
スサノオの御子「五(イ)十猛(タケル)の命」と一致する。
これまで<テナヅチ>手名椎とよんでいて老婆を
連想していた方々には思いもよらない真相が、
ここにもある。
私がだまって<タナツチ>と書いていたことに、
不満だった方もあったのではないかと思うが、
手は古くは<テ>よりも<タ>と発音するほうが多かったのである。
このことで女性とするほうが間違っていたことは明らかになった。
とすれば、そんなに男性は幾人も登場しないから、
やはり一書の父は<アシナヅタナヅ>、
母は稲田宮王スサの八箇耳が正しかったことになる。
父の名をわかりやすく復原すると、
葦名五十猛だったのが、様々に変化したのである。
これで男性名は確定したが、女性がまだである。
葦名都宮主スサの八上姫と一まとめにすると、
八上姫は稲羽の八上姫と呼ばれていることに思い当る。
葦名はやはり地名とみるべきものである。
スサも地名にスサがあるし、スサの王の妻と考えても、
やはり語源は地名となるから、
これはイナの国の宮主(コシ)で、
スサノオ妃の八上姫と考えるのが一番納得がいく。
二人には分けにくい。
ということは女性は一人だったものが、
名前の混乱によって二人と考えられ、
分化して老婆と娘になったのであって、
やはり神名と同じく進化した形をもった話が
『古事記』に記録され、
紀の一書のほうは、その原型を止めて女性一人とし、
子供はあとで生れてからスサノオ妃になったのだ、
という段階のものを記録したと考えられる。
が、仮説のままでおいて、
ここで、神名や人名が地名と、どんな関係にあるかを、
今少しくわしく見ておきたい。
これらの名が漢字を仲介として生まれたことは疑う余地がない、
これまで日本には『古事記』以前は文字がなかったため
記録がなかったと信じられていたが、
これらの神や人の名が漢字なしでは生れる可能性のないことが
証明できた今は、
少くとも神代記に登場する神々は漢字によって、
しだいに変化して分裂して行ったこと、
だから文字があり、記録もあった、という事実が明白にできた。
古代史は新しい出発点に立ったのだ。
「五十猛と八上姫」
(1) 櫛─名田──────姫
┌─┐ │
ク シ ナタ │
┌─┐ │
クシ イナタ キ
└┬┘ │
┌──────┘ │
┌─┐ │
(2) イナタ─宮主─スサ之八箇 耳
│││ │
│││ キ
│││ │
(3) 葦名都───(足 名稚)────チ
│││ ク │ ││ │
││部 │ ┌┐ ││ キ
│││ │ タリ ││ │
│││ 勾 │ ││ 耳
(4) │││ │ (手 名稚) ┌┐
││倍 │ │ │ ミミ
│││ │ タ ナ ││
│││ │ │ │ │耳
│││ │ │ │ ││
イナバ コ シ │ │キ
└┘│ │ │ │ カミ│
│ │ │ │ │ └┘│
(5) 稲 葉─古 志 │──之八 上 姫
│ │
(6)───────板 挙
┌┐ ┌─┐
イタ アゲル
└─┘
イ タ ケル
└──┘
(7)────── 五 十 猛
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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