出典:加治木義博:言語復原史学会
異説・日本古代国家
㈱田畑書店
201~204頁
私の研究は、まだそれでお終いにはならなかった。
ついでだからお話ししてしまおう。
さきの神話伝説辞典には、
出発点が隠岐島と書いてあったが、
本当は『古事記』には淤岐嶋と書いてある。
これまで、
白ウサギは隠岐の島から島根県の出雲の、
気高郡にある気多岬に渡って来たものとされて来た。
だからそれにつられて隠岐と書かれたものと思うが、
こうし小さい点を注意深く見ていくと、
大きな事実が見つかったのである。
まず白ウサギの名である。
ウサギは白いものと思いこんでいる方があると思うが、
皆さんが御存知の家兎は外国で改良された輸入種であって、
明治以後のものなのである。
古代日本人が普通に見ることができたのは茶ネズミ色といった色をした
山ウサギ野ウサギと呼ばれるものであり、
よっぽど北国の人々だけが、
ごく稀に冬毛の白ウサギを見るくらいのものである。
しかも話の内容を見ると、
皮をむかれて赤はだか、
という歌の文句の通り、
赤ウサギといった方が適切なくらいである。
ということは、
このシロは新羅ということを、
わざわざ書いてあったのである。
それを不注意にも白い色と考えて疑わなかったから、
全然新羅の話だとは気づかなかったのである。
次は淤岐嶋である。
この島の名はさきの国生みの時にも出て来たが、
そこでは隠伎の三子島と書かれている。
これを山陰の隠岐の島と考えると話が合わないというのは、
島の大きいものが四つあるからである。
さらにこの隠岐を出発点として手こぎの船で出雲へ着くことは、
対馬海流の影響で、非常に困難であるし、
朝鮮へ渡るとなると全く大へんな逆コースといっていい。
そして現実に、直支王たちが案内したとすれば、
そんなコースは絶対に選ばなかったことは明らかである。
今の隠岐の島は、おとぎ話の中以外、
ウサギとワニの出発点にはなり得ない条件にある。
とすれば現実に史実として出発点になった淤岐嶋とは、
今どこにあるのであろうか?
この問いに対して、あるいはあなたは正しいお答えが、
もうおわかりかも知れない。
それは到着点が、稲羽だからである。
イナバとは葦那馬(イナバ)であって葦原中つ国をさす名前であり、
その南部は印南(イナビ)と書かれ、
北は葦北(アシキタ)と書かれる鹿児島県西部なのであった。
「地図:朝鮮と隠岐との位置(加治木原図)」
倭から新羅へ渡航したのであるから
<隠岐>→<イナバ>コースは逆であり、
<隠岐>→<朝鮮>コースは対馬海流から考えてあり得ない。
この馬という字は、<マ>とも<バ>とも読まれる。
<マ>という語尾を調べてみると、
それは古代日本では国をあらわしていたことが証明できる。
それは馬や間、麻、摩、麼と書かれるが、
国の意味が絶対多数を占め、島と書かれて、
やはり<マ>と読むべきものにも出あうのは、
それらが独立国であったからであろう。
だから<イナバ>は本来<イナ国>であって、
中国の正史に登場する倭奴国(イナマ)と合う。
とすれば新羅は白日別の国と合いはじめるのである。
この別が王名につく称号で、
比古、比売に相当するものであることは、すでに証明ずみである。
だから、それをとり去った白日が国名であったことは理解できる。
それが筑紫の別名だということも判っている。
また九州には今も不知火(シラヌヒ)海という内海が
鹿児島県北西部の出水から
熊本県中部の宇土半島に至るまで広がっている。
この名のもとの名が自奴日(シラヌヒ)であったことは
一目でわかる。
とすれば、
<シラギ>とこれまで新羅の字を読むようにしつけられて来たことに
疑問をもたねばならない。
それはどんなにしても<シンラ>か<シラ>としか読めないからである。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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